私の中の見えない炎

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森卓也と「本音を申せば」(小林信彦)

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 評論家の森卓也が作家の小林信彦を攻撃した(「映画論叢 59」)。

 両者は50年以上のつき合いで、小林の最新エッセイ『日本橋に生まれて』(文藝春秋)にも森の名は登場する。筆者は双方の著作を読んできて、てっきり気の置けない間柄だと思っていたので困惑するしかない。

 脚本家の山田太一はかつて森の著書を「過剰さがなんともいえない。大抵の文章がもっと書きたい、もっと読みたい、え、終り?というようになって終る。背後の語らない蘊蓄をぎっしり感じてしまう」(『誰かへの手紙のように』〈マガジンハウス〉)と好意的に評したけれども、今回は悪口が過剰に詰め込まれ、それこそ「え、終り?というようになって終る」。

 森は小林の身勝手な態度や言動、間違いを指摘されると不機嫌になる理不尽さなどに立腹しているのだが、その悪例のひとつとして「週刊文春」の連載コラム「本音を申せば」を挙げる。森の『森卓也のコラム・クロニクル 1979~2009』(トランスビュー)の刊行時の書評で、森よりも編者が強い不快感を表明して、小林は「失礼だった」ということで単行本収録時(『わがクラシック・スターたち』〈文藝春秋〉)には修正したという。

 どんなにひどいことが書かれていたのかと気になり、当時の「文春」を調べてみた。以下に引用する。

 

ものすごく大きな荷物がきた。

 たまに、そういうことはあるもので、はさみで包み紙を切ってみた。

 単行本であった。「森卓也のコラム・クロニクル 1979~2009」という辞典のような本で、七百ページもある。森さんは愛知県一宮市在住の評論家で、ここに集められたコラムは、中日新聞に連載されたものらしい。

 

 森さんはぼくより十ヵ月ほど下だが、いま八十二である。八十二で、こういう〈芸ごとにからむ厄介なコラム〉をまとめるのは大変にちがいない。

 二十代からアニメーションにくわしく、「動画映画の系譜」という文章を佐藤忠男編集時代の「映画評論」誌に載せた。佐藤さんの方針で、ぼくは喜劇の長い文章を書いたし、ミュージカルについて書く人もいた。これは一九六〇年代の話だが、森さんのものは「アニメーション入門」として美術出版社から出た。

 第三者からきいたのだが、「アニメーション入門」は本造りについて厄介なことがあったという。今でもそうなのだが、ディズニー関係のミッキーやミニーを、たとえば装幀などに使ってはいけないのだそうだ。ディズニーの会社はひどくうるさい、とその第三者に教えられた。

 森さんは、のちに「アニメーションのギャグ世界」(奇想天外社)という本を出した。ぼくも持っているが、これは面白い本であった。ディズニーならぬ、他のアニメのギャグをまとめたといってもいいだろう。トム&ジェリー、ピンク・パンサ―といった漫画がつまっている。

 のちに〈ギャグ世界〉をまとめて、「定本アニメーションのギャグ世界」(アスペクト)を出した。これは平野甲賀さん独特のタイトル文字による立派な本で、一冊読むのなら、これがいい。大きな書店では、いまでも見かけるし、孫にアニメのDVDを買ってやるときは、これで探せばいいし、便利なものである。

 ぼくの考えでは、森さんは〈森卓也=アニメーションの専門家〉という風に世間から見られるのがイヤになったのではないか、と思っている。今度の「コラム・クロニクル」を読めばわかるが、森さんは〈ギャグ〉とか〈芸〉について、とにかく、ひとこと述べてみたい、というところがある。

 そこがわかっていないと、山田太一のテレビドラマをこまかく取り上げ、故志ん朝や故香川登枝緒について、いちいち思いを語る点がわからなくなる。この人は、なぜいちいち言葉をはさみたがるのか、と普通の人は思うのではないか。

 思うに、森さんは芸の世界について、ひとこと申し上げたくなるのではないか。大ざっぱにいえば、森さんの世界は、山田太一、関西の落語、イッセー尾形について、おそろしくくわしい。三谷幸喜について批判しても、クドカンこと宮藤官九郎については何の興味もないようだ。これは極端なのだが、〈森卓也の見る芸〉というのは、そういうものだから仕方がない。

 

 森さんは大阪の落語にくわしい。

 名古屋近くの住いだと、大阪まで一時間少しで行かれるらしい。多くの噺家の名前が出てくるが、なんといっても中心は桂米朝である。桂米朝(すでに体調を崩していた)とその周辺の人々についてのこまかい記述が本書のミソである。

 山田太一さんのドラマの面白さはこの本で初めて知ったに等しい。体当りのような書き方で、この人のみ、といった書き方はイッセー尾形論に通じる。

 イッセー尾形はテレビに登場したときに見て、映画「それから」、「そろばんずく」、「悲しい色やねん」などを見ただけだから、森さんのようにしつこく書く芸なのかどうかはわからない。

 志ん朝さんは晩年、秋になると名古屋で独演会を演じ、森さんに教えられて、ぼくは家族づれで名古屋に通った。その志ん朝さんの死の報もある。森さんは関西オンリーという人ではなく、東京でも志ん生志ん朝というラインはずっと見ていたから、志ん朝さんの死にはショックを受けている。

 〈これで東京の落語会は…小三治のみか〉と嘆じているが、これはぼくの感想に似ている。」(「週刊文春」2016年4月28日号より引用)

 

 尊大な感はあるけれども、引用者は予想したほど「失礼」ではないという印象を受けた。小林は親しい友人の著作だからこそ、距離をとろうと思ったのかもしれない。

 小林信彦森卓也を軽く見ていたのは間違いないだろう。だが今回の報復に関しては、小林に同情する。