私の中の見えない炎

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本多勝一と岡留安則・上級国民とゲリラの戦い(2)

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 一方で岡留安則は「著名人の私生活を暴露することは公的利益と合致する」という信念?により、盗み撮り写真を「噂の真相」に多数掲載してきた。

 ゲリラジャーナリズムの方法論として筆者は別に悪いとは思わないけれども、岡留の手法は朝日のエリート正社員・本多勝一の理解の埒外にあった。よくぞ本多は盗撮写真が頻繁に載っている誌面に連載したものである。衝突は起きるべくして起きたのだった(ちなみに「噂の真相」2003年7月号は本多を盗み撮りした)。

 「Views」の記事を執筆した岩瀬達哉は本多と疋田桂一郎を名誉棄損で提訴し、本多と疋田も反訴している。最高裁まで争った結果、2005年に岩瀬の上告は棄却され、岩瀬には損害賠償が命じられた。ホテル代などを一切払っていないという記述は真実でなかったわけだが、一方で金額が半分でリクルートに便宜を図ってもらったのは間違いなく、本多や疋田への接待はあったと裁判で結論された。両成敗とでも言うべき判決だけれども、本多側も岡留も圧勝をそれぞれに宣言する。

 本多と柴田鉄治・元「朝日新聞」社会部長と山本博朝日学生新聞社相談役の鼎談にて柴田は「あの問題は最高裁まで行って疋田さんの完全な勝訴で汚名は完全にすすがれている」、山本は「疋田さんの顔に泥を塗ったフリーライターの全面敗訴はどういう負け方かというと、これはジャーナリストの基本にかかわることだと思うのだけれど、つまり疋田さんたちはリクルートのスキー旅行でもって、ホテル代やリフト代は一銭も払っていないと講談社の雑誌に虚偽を書いたことにある。しかも主見出しが、「朝日にもあったリクルート汚染」というとてつもないことになった」と述べる(『疋田桂一郎という新聞記者がいた』〈新樹社〉)。 

 岡留は「この裁判は最高裁判決までいったものの、ホンカツらが接待を受けた事実は裁判上でも正式に認定されてしまったのだ」として「ホンカツの完全な惨敗である」と断言する(岡留安則『編集長を出せ!』〈ソフトバンク新書〉)。

 事実、接待があったのだから本多や疋田の「完全な勝訴」とは言い難いし、岩瀬の記事に虚偽が混じっている以上は岡留の「ホンカツの完全な惨敗」も言いすぎであろう。「完全」だとする両者の強弁には似た傾向が見出せる。 

 本多は「噂の真相」に長年連載したことについて「だれしもその生涯には、多かれ少なかれ不覚な行状をまぬかれぬものですが、私にとっては「噂の真相」連載コラムを引き受けたこともそのひとつでした」と弁明した(『疋田桂一郎という新聞記者がいた』)。岡留も「今となっては、本多氏の本質を見抜けずに連載をさせてしまったことじたい、筆者にとっての不覚だった」と同趣旨のことを述べている(岡留安則『「噂の真相」25年戦記』〈集英社新書〉)。

 日本の裁判制度を批判しながら互いの判決については妥当だと評する点も共通しており、岡留が和久峻三をめぐる報道で有罪判決を受けた件について、本多は「こういう名誉毀損常習誌であれば、和久峻三氏についての記事で東京高裁による「噂の真相」編集長への懲役八カ月の判決(執行猶予二年)も当然です」(『疋田桂一郎という新聞記者がいた』)と記し、岡留は2004年に高裁が本多の訴えを棄却したことに関して「現行の裁判にいろいろ問題が多いという情況を考慮しても、まっとうな判決だった」(『「噂の真相」25年戦記』)という。

 余談だが筆者は本多・岡留両氏との面識はないけれども、以前に勤めていた会社はふたりとの関わりがあり、本多から「何で岡留なんかと」とねじ込まれたこともあったという。

 この対立に関しては、先述の通り筆者としては本多に悪い心証を持ったのだが、本多の言い分を改めて読んでいてなるほどと思う個所もある。

 

正解だとは私にも言えないながら、ある一般原則による想定はできます。それは卑劣な行動に走る例の多くに一般原則らしい「嫉妬」です。この編集兼発行人は、実は疋田氏のようなすごいジャーナリストになりたかったのではないか。それが能力的に無理だとさとったとき、この卑劣な男はその種の成功者たちを攻撃する側にまわるようになったのではないか」(『疋田桂一郎という新聞記者がいた』)

 

 「嫉妬」とまとめるのが適切かはともかく、岡留が世間の扱いにいささか不満を持っていた節はある。「噂の真相」の休刊直前に編集部の様子などがテレビに取り上げられたのだがそのひとつ(『NONFIX 噂の真相だ!気ヲツケロ』)に関して「おどろおどろしいオカルト番組みたいなつくりの印象になっていた。つまり怪しい雑誌というイメージがぷんぷん漂うつくりになっていた。別に「噂の真相」が怪しくないとはいわないが、この番組だけを見た「噂の真相」の未知の読者が受け取ったイメージは、実際の雑誌とは、かなり違って伝わったのではないか」という(『「噂の真相」25年戦記』)。

 岡留は「戦後のカストリ雑誌」を意識して、あえて「噂の真相」にザラ紙を使うなど配慮もしていた。結局のところ、うさんくささを自ら演じている面があった。しかし単純に「怪しい雑誌」扱いされると納得しないという矛盾。そのフラストレーションが本多や疋田ら朝日の優雅な “上級国民” ぶりに向けられたのでは…と、どこかで思えなくもないのだった。