【現場でのエピソード (2)】
寺田「(『ユメ十夜』〈2006〉)おれは店の客で、久世(久世光彦)ちゃんの本に客が帰り際に小女の着物をめくって白い尻が出る、みたいなことが書いてある。昔の着物はまくれないですよ。女の子が電灯を換えているときにめくれるようにだぶだぶにして、そして一発でOK。実相寺はまたそういうところにうるさくて「そんな出方じゃだめよ」 みたいなね(一同笑)。この女優さんも久世ちゃんのつながりで、お母さんが詩人でつき合いがあって、デビュー作がこれ」
中堀「『帝都物語』(1988)で原田美枝子さんなんか「監督に訊きたい訊きたい」って言うけど(質問に)来させない」
1990〜2000年代にも、実相寺昭雄監督はウルトラマンに何度か登板。『ウルトラセブン』(1967)の「狙われた街」の続編として『ウルトラマンマックス』(2005)の「狙われない街」を撮っている。「狙われない街」では、メトロン星人の人間体を寺田氏が演じた。円谷プロで長年使われた怪獣の倉庫が取り壊されるので、そこで撮影が行われた。
中堀「ウルトラマンの後半は若い脚本家だったんで、監督がどんどん直しちゃってます。字コンテで、台本に線を引いてる。毎晩うちにファックス送ってくるんですよ。酔っぱらってる日と酔ってない日で違っていて、これ絶対飲んでたなって判る。それを朝みんなに伝えて」
寺田「メトロン星人は、ウルトラで自分がやった中でも好きですね。昔の作品の40年後に同じ監督で撮るって、なかなかそういう機会がない。もう実相寺は体調悪かったんだけど、面白かったですね。あのメトロンの独特な走り方をしたくてね、おれも真似したんだけど。円谷の怪獣倉庫がまだ残ってて、そこにちゃぶ台のセットが組んでありました。メトロン星人ってほんとでかいのよ。ぼくが横にいて(声を演じて)吹き替えじゃないんだよね。(台詞を言うと)入ってる人がやってくれるんだけど」
中堀「あのへんのやりとりは即興ですよね」
寺田「ぼくの携帯の待ち受けもメトロン星人でね。みんな何だこれって言うんだけど、中身はおれなんだよと(笑)」
中堀「メトロン星人については監督のアイディアで、脚本家の人に注文を出してたんですよ」
寺田「そのころにパチンコで大当たりになりそうになると、メトロン星人のちゃぶ台が出てくる。私はどれだけちゃぶ台を目指して金をつぎ込んだか。後で円谷プロに取材費として出してくれって言ったんだけど、出してくれないんだよね(一同笑)」
遺作は、かつてのテレビ作品をセルフリメイクした『シルバー假面』(2006)。がんと戦いながらの撮影だったという。
寺田「何億もかけた映画でも1000万しかなくても変わらない。予算がないから適当にってことは一切なかったね。『シルバー假面』なんて死ぬ思いで撮ってたけど」
中堀「『シルバー假面』では最後のダビングで、尺八を吹く人が山本邦山さんの息子さんで、ラッシュをお父さんが見て、尺八が気に入らなくて吹き替えさせてほしいと。監督は具合悪くてダビングはもう任せると。山本邦山さん本人が来ているのを監督に知らせるかどうかで揉めたんですけど、結局(実相寺監督は)来られなかったんですね」
寺田「五反田のIMAGICAで試写があってね、これは3本(オムニバス)で1本目が実相寺。始まる前に「寝たら起こして。いびきかくと悪いから」。自分の作品はちゃんと見てたね。2本目になってすぐ寝た(一同笑)。いびきをかいたら起こしてやろうと思ってたけど、ぐっすり寝てました」
中堀「最後のカットで怒られたんですよ。大正時代の話なのに(カメラを)引けって。引くとクレーン車やイントレやいろんなものが映っちゃう。監督これでいいんですかって。ばれない(映らない)ようにワセリン塗ったりしたら「お前さ、余計なことするな。おれがいいって言ってるだろ」」
寺田「あのときは相当いらいらしてたね。自分の思いが伝えられない。体が動かない。最後に出てくる傷痍軍人が、ステッキでハーケンクロイツを描く。「描き順が」って監督が言うんだけど、ハーケンクロイツに描き順なんてあるのかな(一同笑)。意味なんて全然理解しないでやってるからね。見ても意味わかんないね(一同笑)」
【最後に】
寺田「亡くなっていろんなところに呼ばれて話をしたんですね。それからは実相寺について一切喋らないと自分で決めたこともあって。実相寺には面白い話、変な話がいっぱいある。奇人変人という。こと細かに喋るほど、変な人だったけど天才だったらしいということで終わっちゃうから。それで映画が見られていなかったりするからね。
映画やテレビの現場で会う40代から50になろうかって人で実相寺ファンは、圧倒的に多いですね。実相寺が遺した役割ってすごい。素晴らしい監督の条件として、スタッフを育てていく。黒澤(黒澤明)も小津(小津安二郎)も相米慎二もそうだったように、実相寺もスタッフを育てた。ただ黒澤さんは役者も育てたけど、実相寺組からは役者はね(一同笑)。動く小道具でしたね」
中堀「カメラマンが露出とかそれなりにできても、監督が引っ張らないと映画はダメですからね。いまはカメラ5台くらい並べてるだけで」
寺田「いまの現場は映像にこだわりがない。素材をいかに撮るってだけで、役者に同じことをやらせて。光と影のこの画を狙ってるっていうのがないよね」