私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

寺田農 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『実相寺昭雄見聞録』(2)

【若き日のテレビ局時代 (2)】

寺田「今度の『実相寺昭雄見聞録 第二集』(キングインターナショナル)に載っけてくれてるんだけど、フランスからぼくに送ってくれた絵葉書にいろいろ書いてあるんだけど、米つぶみたいな小さな字。よくあんな字が書けるなと。びっしりで読めないところもあって、細かい人だったね」

油谷「5倍ぐらいに拡大コピーしても読めないところがありましたね」

寺田「ありとあらゆることを記録しておく。細やかで、記憶力も良かったね。昔のこともよく覚えてる。映画をつくるときに大変役立ってるんだろうけどね。

 TBSの当時の同期生がみんな仲良いのね。亡くなるまで仲良くて、実相寺が辞めて映画に行ってもしょっちゅう交流があって、とっても不思議だなと思うぐらい。並木(並木章)さんとは早稲田からの同級生で、罵り合っていつも喧嘩してるけどいちばん仲が良い。『ウルトラQ・ザ・ムービー 星の伝説』(1990)のテレビ局(TBSで撮影された)に出てくる人のモデルは並木さん。優秀な人でTBSビジョンの社長とかになった。昔のテレビ局は簡単に入れたけどだんだんセキュリティが厳しくなって、実相寺がビジョンに行って「社長に会いたい」って言うと、受付の人が「何だかよく判らない人がご面会です」。並木さんは「入れていいから。ただ帰りは気をつけなさい。必ず何か持って行こうとするから」(一同笑)。コダイの忘年会では並木さんによる実相寺の昔の旧悪暴露がねたになってました。『ウルトラQ・ザ・ムービー』には、実相寺の感じた当時のTBS時代の雰囲気があると思いますね」

油谷「あの映画では(TBSの)新しい局舎が建つともう決まってましたね。自分が過ごした局舎の雰囲気を遺しておこうという意識ははっきりあったようです」

寺田「実際は赤坂(のTBS本社)ではなくて緑山で撮ったの。そのときは、もう工事が始まってたのかな」

【実相寺と語学】

寺田相米慎二って監督もいたけど、相米を超える監督は必ず出てくる。まだそういう奴が出ないってことは日本映画が沈滞してるんですね。でも実相寺を超えるのは絶対出ない。相米は映画の天才であって、実相寺は映画だけじゃなくて書もアダルトもすべてのことに天才で、こういう人は出ませんよ。誉めてるんですよ(一同笑)。フランス語も堪能でね」

油谷「実相寺監督の日記を見ると、マルグレット・デュラスの本を邦訳が出る前に原書で読んで、その抜粋を見事なフランス語で書いてあるんです。それについてのメモもフランス語。ただ仕事でフランス語を喋ってるのを聞いたことがないです」

寺田「仕事ではないけど聞いたことはあるよ。赤坂にクラブみたいのがあって、そこにフランスから来たダンサーが4人ぐらいいて、そこに実相寺の知った女がいたんでね。受付の人に言って、その女の人が出てくると実相寺はフランス語で喋ってましたよ。やっぱり喋れるんだと思ったね。英語は嫌いだった」

油谷「仕事でニューヨーク行ったりしたときは使ったんでしょうけど」

寺田「オペラの仕事ではイタリア語とかドイツ語とか出てくるけど、ドイツ語はどうだったんだろう?」

油谷「文章ぐらいは読めたかもしれませんね。話してるのは聞いたことがない」

寺田「ドイツ語って顔じゃないもんね。いま思えばフランスっぽい顔はしてますよ」

油谷「頭の中身もフランスっぽかったですね。余談ですけど監督のお嬢さんはドイツ語を勉強してました。親父に対抗したのかもしれませんね」

【仕事でのエピソード (1)】

寺田「映画台本にはコンティニュイティ、カット割りがあって、相米慎二はそういうのをやらない。実相寺はカットナンバーを全部入れて、ゴム印で数字を入れて、撮り終わると綺麗にバツを入れていく。いつもお酒飲んでて、どこでやってたのかね」

油谷「音楽、シンフォニーの収録をするのに、楽譜を読んで稽古に立ち会ってカメラ割りをする。事務所の近くでぼくらにつき合ってくれて酒を飲んで、ひと寝入りして夜中の3時ぐらいに起きてカメラ割りをしたそうです」

寺田「映画には監督が撮りたいという場合と、女優さんがスケジュール空いてるからこの監督で、みたいな場合とがあって。実相寺は『帝都物語』(1988)なんてやりたかないけど、話が来たからやりましょうと。

 遺作の『シルバー假面』(2006)に取材が来て、実相寺は亡くなる前で具合が悪い。記者は「何でこの作品をやるんですか」とか一生懸命訊くんだけど、実相寺は「話が来たからやってるだけ。やりたいも何もない」。実相寺に関してはそういうのが多いんじゃないかな。音楽の仕事は別だけど。

 CMでも映画でもオファーがあったらやると。やらないものもあるけど、やるからには自分のやりたいことをやるっていう。その代わり、とっても難しいところもあって代理店やらプロデューサーやらに迷惑かけてる。人に会うとすぐ「お仕事ちょうだいよ。あしたガス管くわえなきゃ」とか平気で言う(一同笑)。それじゃあってことで実相寺と打ち合わせすると「冗談じゃありませんよ。何でワンタンメンのコマーシャルをニューヨークで撮らなきゃいけないわけ?」って簡単に断る。間に入った人はかわいそうだよね。何でもやるかと思えばやらないとこもあってね。

 『青い沼の女』(1986)は木曜ゴールデンだっけ? 火曜サスペンスか。池谷(池谷仙克)さんと話して全部セットだけでやると。沼もセット。乱歩の『D坂の殺人事件』(1998)も全部セットだったけど。『青い沼の女』では私はどこに出てたでしょうってぐらいなんだけど、最初に雨がじゃあじゃあ降ってる中で郵便物を配達する。私の母親は既に白内障で目が悪かった。母に判るようなライティングをってお願いしたんだけど、カメラの中堀(中堀正夫)さんがレンズにワセリン塗って画面がぼやけちゃう」(つづく