2011年に逝去した森田芳光監督の全作品上映が、2018年11月から12月にかけて行われた。筆者はなかなか予定が合わず、『39 刑法第三十九条』(1999)のみやっと鑑賞。
猟奇殺人の犯人として逮捕された人物(堤真一)は人が変わったような不可解な言動を見せる。謎を追う鑑定人(鈴木京香)の前に思わぬ真実が現れるのだった。
上映後に森田監督夫人だった三沢和子プロデューサーとライムスター宇多丸とのトークショーがあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分がございます。ご了承ください)。
【企画段階】
宇多丸「1999年はこの後も『黒い家』を連続して撮られていますね」
三沢「『39』を撮ってるのは1998年です。公開までまるまる1年空いたんで。このころから劇場が空かなくなってきて、いまは普通ですけど」
宇多丸「これを初めてごらんになった方はオリジナル脚本だってびっくりしますよね。原作小説がありそうな重厚な内容で」
三沢「いまは大河ドラマや朝ドラも書いている大森寿美男さんですけど、このころはまだ。私がこの本を目にして、監督も決まってなかったんです。シナリオだけあった。これお願いだから森田に読ましてほしいと」
宇多丸「この本は、光和インターナショナルの鈴木光さんが持っていたんですね」
三沢「そのころ私は光和にいて『お墓がない』(1998)とか『OL忠臣蔵』(1997)をやっていたんです。『お墓がない』も大森くんで、森田はこの本をやりたいと思うんだけどって言ったらみんなは「えっ!」て。森田がサスペンス好きだって知らなかったみたい。『の・ようなもの』(1981)でデビューした後にプロデューサーに次は何やりたいかって訊かれたら間髪入れず、松本清張の『Dの複合』(新潮文庫)って言ったんです。でもあれは戦中戦後の話で古いって言われて。そのころからサスペンスをやりたくて『飢餓海峡』(1965)だとか『復讐するは我にあり』と(1979)かが大好き。サスペンスって映像に凝ったり編集の技術を必然的に使えたりするのでやりたくて仕方なかった。読んだら絶対やりたいということで」
宇多丸「刑法三十九条に目をつけた着想がすごいなと思うんですけど」
三沢「それは鈴木さんだと思います。ちょうど酒鬼薔薇事件があったころですね」
三沢「和歌山カレー事件もあったけど、だから『黒い家』をやったわけじゃなくて」
宇多丸「シンクロしてくるところがありますね」
三沢「異常な犯罪があると、いまでも精神鑑定するじゃないですか。精神がおかしいと6か月くらいで無罪になっちゃうと判ったんで、映画にするべきだよねと。アメリカでは鑑定で無罪になって、一生精神病院に入る。刑務所か精神病院かどちらを選びますかという。日本は短い刑期で出てきて暮らすんですよ」
宇多丸「ぼく父が精神科医でこの映画見て大変感銘を受けて。父に専門家としてどう思うか訊いたら、映画の中で言ってる通り、精神病の人は人間じゃないって扱いだから、人間扱いをしないから責任とれないというふうになるんだと。責任をとる権利を奪ってる。全くその通りだと言ってました」
三沢「私も監督もこのストーリーが素晴らしいと思ったけど、最初(第1稿)は舞台でやるような法廷劇、台詞の劇っぽかったんですよ。もっと映像とからめて映画的にしないといけないということで、大森さんと旅館に2〜3日こもってこういう本に」
三沢「海にサングラスを置くとか、ああいうのを加えて」
【銀残しの映像 (1)】
宇多丸「前作『失楽園』(1997)から始まったスタッフを交えての撮影前合宿を今回もやられて、そのときにタッチを決められて銀残しにされると」
三沢「「アサヒカメラ」とか「カメラ毎日」とかも森田はいっぱい持ってて、カメラが好きなんですよ。森山大道さんも好きで、それを撮影の高瀬(高瀬比呂志)くんに見せて何となくこういうタッチと。
制作部にはロケハンで「犯罪の匂いのする風景だ」って指示で、それをさがすほうは「ええ〜」と。でもどこだって犯罪の匂いはしちゃうんですよ。綺麗な赤いチューリップでも犯罪の匂いはしちゃうんですけど。森田は口癖のように言ってましたね」
宇多丸「鉄塔が出てくるのは、犯罪というより森田芳光の匂い(笑)。鉄塔にしろ団地にしろ森田映画にはよく出てきますけど、今回は不吉な感じになっていますね。画面が斜めなのが多いですね。堤真一が嘘ついてる段階では斜めが多いです」(つづく)