この10月に渋谷にて新東宝映画の特集上映が行われており、初日に『九十九本目の生娘』(1959)の上映があった。
“日本のチベット”と呼ばれる秘境の村には、生娘の生き血を捧げる祭りの風習があった。九十九回目の祭りのために、不気味な老婆(五月藤江)たちによって警察署長の娘(矢代京子)がさらわれ、刑事(菅原文太)たちが立ち向かう。
現在は台詞や設定によりソフト化・テレビ放映が難しくなっている作品だが、おどろおどろしい映像や演技陣の好演がいま見ても愉しめる(主演で当時ハンサムタワーズに所属していた菅原文太の線の細さには驚く)。テレビ『Gメン'75』(1975)や『超人機メタルダー』(1987)などのシナリオを手がけた名匠・高久進の脚本家デビュー作でもある。
上映後にはかつて新東宝の所属した矢代京子氏のトークがあり、当時の想い出が語られた。聞き手は、『異端の映画史 新東宝の世界』(洋泉社)の下村健氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【『九十九本目の生娘』】
矢代「きょうは雨にもかかわらず大勢の方に集まっていただきまして、ありがとうございます。
(題名は)最初はよく判らなくて。まさか私が九十九本目の娘で狙われるなんて思ってなくて。だけどいまになって見ると面白いですね。活劇で、鉄砲や弓で撃って。(警官が発砲するのは)いまじゃ考えられないですね(笑)。
(台本を読んで)あざみ役もいいかな、なんて。でもやっぱり生娘だから(一同笑)、監督さんもスタッフの方も私を選んでくれたのかなと思いますけど。
もう五十何年前、私も歳を重ねてはっきり覚えてないんですけど(ロケ地は)奥多摩だったと思います。険しい山の中で(出演者は)私を担いで大変だったでしょう。滝の中に入れられて、悲しくなっちゃって。封切りが9月だったから、いつごろだったかしら。演じていてみじめでね(笑)。運ばれて寝かされて。
大蔵さん(大蔵貢社長)は少しでもちらっと見せたい。このへんまでまくっていいと監督さんもおっしゃって。周りの人には“京子さん、こんなことされて”って同情されました。大蔵さんは現場にいつもいるわけではないけど、少しでもチラリズムをがほしいというのはあったみたいで、それは三原(三原葉子)さんにおまかせしました(笑)。この映画の現場ではいっしょのときはないですね。(ポスターでは)三原さんがくくりつけられていますけど、宣伝用で実際の画面にはないですね。
私がつるされたとき、長(芝田新)はものすごい迫力のある俳優さんで、そばに行くだけでドキドキしました。普段は静かな方でしたけど。ぶら下げられて、結構痛かったですよ。どうしようと思いましたけど、いま考えると愉しかったですね。
19歳の終わりごろだったかしら。いろいろ興味のあるころですね。あざみの松浦(松浦浪路)さんは、私と同期で仲が良かったですね。ふたりとも割と早く抜擢されて、お話も合いまして。自宅に行ったこともありましたけど、ちょっといまはお加減が悪いみたい。(歳が)私よりちょっと上なんですけど。
改めて拝見しますと(出演者の)ほとんどの方がもういらっしゃらない。私は残党組で、生き残ってしまって(笑)。
菅原さんは新人でモデルをやっていらして。新東宝に同じ時期に入社しましたので、会うとお話しましたね。東映に行かれて全然変わりましたね、イメージがね。ハンサムタワーズは、寺島(寺島達夫)さんとごいっしょすることが多くて、結髪さんのところでお話しして。テレビでもメイク室でお会いしました。吉田(吉田輝雄)さん、高宮(高宮敬二)さんとはごいっしょしたことないですね。
おばばの五月さんとはよくお話ししましたね。この映画を見ていると怖いおばあさんですけど、普段はお上品で素敵な方でしたよ。よく体が動きますよね。いろんな映画にお出になっていて。ざっくばらんな方でした。尊敬してましたね、いつもしゃきっとされて。ご主人は警官の役で出られてましたね。
曲谷先生(曲谷守平監督)はね、割と静かな方でしたね。あまり演技指導はしてくださらなかった(笑)。いまもお元気でいらっしゃるようですよ。
(当時)劇場には行ってないんですよ。つい最近拝見しました。他の映画との掛け持ちが多くて、試写で見ることもできなくて。自分で出ていて、いつさらわれるのかしらって。次私の番だって思うと鳥肌が立ちましたよ。
画面を見ていると、あの方もこの方もいない。誰もいなくなってしまって淋しいですね」(つづく)
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