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山際永三 トークショー レポート・『セクシー地帯』(1)

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 恋人が殺され、その容疑者に仕立てられた主人公(吉田輝雄)。だが、恋人は接待をする特殊女性で謎のグループに所属していた。主人公は凄腕のスリ(三原葉子)と力を合わせて謎を追う。

 

 『網走番外地』シリーズや『異常性愛記録 ハレンチ』(1969)、『直撃!地獄拳』(1974)などで知られる石井輝男監督。その石井監督が初期に手がけた『セクシー地帯(ライン)』(1961)は地帯(ライン)シリーズの一編。

 今年1月に、阿佐ヶ谷にてリバイバル上映と、石井氏に師事した山際永三監督のトークショーがあった。『異端の映画史 新東宝の世界』(洋泉社)の下村健氏が、聞き手を務める。筆者は、石井氏についてはどちらかと言えば無知なのだが山際氏のファンなので聞きに行った(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。 

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【新東宝時代の石井輝男

 かつて石井・山際両氏は新東宝に在籍していた。

 

山際「60年以上前の映画なんで新鮮に見ましたけど、私はこのスタッフにはついてなかったですね。石井さんはモダンな映画をつくる人ですね。話はよく判らないですけど(一同笑)。新しいことを次々やると。

 (新東宝)入社は1955年ですね。そのときは、石井さんはチーフ助監督で闊達に働いて、成瀬巳喜男さんとかの外部から来た監督につく人でした。チーフが7、8人はいたと思うんですけど。三輪彰さんも同じように五所(五所平之助)さんに。当時は贅沢なもんで、外部の人のためのメンバーが用意されてた(笑)。

 石井さんは、渡辺邦男さんの早撮りの技術とは全然違いますね。映画の中身という意味では、渡辺さんたちの古くさい映画のつくり方に対して、おれが監督になったらもっと新しいことをやるんだという意気込みはあったと思います」

 

 石井監督は、自身の師匠は成瀬(成瀬巳喜男)先生と清水(清水宏)おやじだと言っていたという。

 

山際「清水さんの『しいのみ学園』(1955)で、ぼくはぺえぺえの助監督でしたけど、窓の外で石井さんと清水さんが話してて、えらく“はい! はい! はい!”と言ってて、怒られてたわけでもないでしょうけど、そんな不動の姿勢で返事してて(笑)、妙に印象に残ってます」

 

 1955年12月、ワンマンとして知られる大蔵貢が新東宝社長に就任。

 

山際「大蔵さんになってから、清水さんや成瀬さんは新東宝に来なくなっちゃったんですね。言うことを聞く若手監督を使おうということで。『明治天皇と日露大戦争』(1957)は大当たりしたんですけど、他の作品はそんなに儲からない。新東宝の映画館は減っていって、低予算のものしかできない。低予算で工夫してやるってことで、石井さんは会社に認められたわけですね。映画館の館主がぜひ石井さんに撮らせろと言ってくれる(笑)。もっと増やせと館主会で言われたそうです

 

 山際氏は『肉体女優殺し 五人の犯罪者』(1957)、『黒線地帯』(1960)といった石井作品で、助監督を務めた。

 

山際「(助監督として)『スーパージャイアンツ』シリーズもちょっとやったりしたんですけど、全部やったのは(浅草が舞台の)『五人の犯罪者』が最初じゃないかな。石井さんは浅草で映画をたくさん見てお父さんから勘当されたって人なんで、浅草は文化の故郷なんですね。ほんとにいきいきやっていました。その次が『黒線地帯』です」

山際「歳は7年くらい上ですけど。大蔵映画になって、石井さんの現場はつらいけど面白いものができるってことで、助監督はみんなつきたがったんですね。ぼくは石井さんに呼ばれて、ホンを勝手にいじったり、愉しいこともあったですね。

 三輪彰さんは新東宝で何本か撮って、ぼくの兄貴分だったですね。三輪さんと石井さんも、全然タイプが違うのに仲がいいんですね。三輪さんは『五人の犯罪者』、『スーパージャイアンツ』でも助監督をやって、『ジャイアンツ』は自分でも監督してますね。

 撮影所では、助監督全体が石井さんの支持者だったかな。そのくらい助監督に人気がありました。50年代から60年代の初め、日本映画は2本立てで、大量生産で粗製濫造の時代でしたけど、石井さんは大映の増村(増村保造)さんなんかと軌を一にして、モダンなサスペンスとかをどんどんやり出したんですね。当時6つの映画会社があって、それぞれの助監督は次世代の監督ということで、監督新人協会というのができて交流ができまして、温泉場に行って飲んだりするような。いい時代だったわけですが、その後は会社がつぶれていくような悲惨な状態になっていきました。

 『黒線地帯』は横浜ロケで、当時は映画会社が横浜や神戸でロケをやるときは警察より先にやくざの人に頼んで、人除けとか道路の許可とか、やくざに仕切ってもらうんです。やくざの人をもてなして、やってもらうのが大変でした。おかげさまで仲良くなって、その後いろいろやっかいになった人もいます(一同笑)」(つづく 

 

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