私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 講演会 “ドラマで振り返る昭和”レポート (3)

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ホームドラマについて (2)】

 (エッセイをヒントに書いた『それぞれの秋』〈1973〉では)課長になったとき、女房に遅すぎだと言われたと。奥さんは、会社が亭主を認めるのが遅いという意味で言ったけど、そういうふうにとってなくて恨んでた。

 家族なんていらない、ジーンズをはきたい。お医者さんは、これは病気が言わせていて本音じゃありませんって言うけど、生々しくて本音としか思えない。入院して看護婦に抱きついたりして、内面が判っちゃう。それで死んじゃえばいいけど、治っちゃう。お母さんは娘と息子に、全部秘密にしよう、お父さんの耳に入れないようにしようと。お父さんがあらぬことを言ったのを隠すけど、お父さんは何となく感じて。高校を出て少しくらいの息子は、お父さんに悪いからほんとのことを言おうと。見た目のさわやかさにない部分が判っちゃう。息子と娘は、親に隠してた不良的な行為を告白して、お母さんも言ってよって言うと、お母さんはいいのって。お母さんだけがみんなの秘密を握っちゃう(一同笑)。コメディーみたいですけど、みんなが(秘密を)喋らないのをどういう仕掛けで崩すか。『それぞれの秋』という作品で、誉めていただいた『岸辺のアルバム』(1977)より…。

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 (『岸辺のアルバム』は)テレビドラマに限界を感じていたころで、「東京新聞」の方が小説書かないかって言ってきて、そんな小説なんて書いたことない。でもひとつプランがあって、それはテレビ局がOKを出さない。「小説に書けばいいんじゃない?」って。一戸建てをつくったけど、亭主(杉浦直樹)は仕事仕事で夜中しか帰ってこない。息子(国広富之)は頭悪くて、大学行けそうもない。娘(中田喜子)は女子大に入ってるけどつめたい。そういうマイナスを内側に抱えてる家族の話です。それで奥さんが近所の人とできてしまう。表面では幸福に見えて、でもクライマックスになると、多摩川、登戸のあたりが洪水で流されて、根こそぎなくなってしまう。暗い話はダメだっていうテレビ局の思い込みがあって。それじゃ小説に書けばいいや。連載が始まって少し経ったら、あれテレビにしたいって大山勝美さんが言ってくださって「えっできるんですか」。テレビ局の人も、甘い話ばかりほのぼのばかりで(物足りなく思っていた)。『それぞれの秋』の奴だから、少し笑わせると思ったのかな。結構みなさん見てくださって、暗い話だって見てくれるじゃない? 戦争やアメリカ軍駐留をぼくら共有してますから、明るい話を求めるのは当然ですね。でも『岸辺のアルバム』のころは、豊かさが定着してきてますから。

 終わりに洪水があって(避難先の)体育館にいろんな人が来て、宗教の人、市会議員いや区会議員かな。そういう描写があるんですけど、それはいまと変わんないのね。変わったのはボランティア。昔はちょっと考えられなかったですね。(多摩川では)洪水の規模が小さかったからかも判らないけど。(地震のあった)熊本ではボランティアを整理する受付もあって、「×日から受け入れます」とか。ボランティアは自分の内面の理由もあるでしょう。ただ人のためになりたいってプラスばかりじゃないけど、そういうのって社会の成熟かなって思いますね。

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【秘密の電話】

 80年代の少し前に『あめりか物語』(1979)という作品を書いたんですね。アメリカへ行った日本人移民の話で、日本から少しでも人を減らして、おいしいこと言って送り出して、後はケアしてない。西海岸で苦労した日本人がいて、第2次大戦では収容所に入れられて。そんなスパイ(の人数)なんて少しだけなのに。そういう悲惨なこともあって。そこで育った日本人の娘と黒人の青年が結婚するというのを書いたんですね。そしたらロサンゼルスの日本人の方たちが、絶対ありえないことがあると。何ですかって言ったら、黒人と日本人との結婚はありえない、うまくいくわけがないと言われちゃったんですよ。そうかなって気がしたのね。日本では(アメリカの)兵隊さんとの結婚は、結構ありますよね。それを絵空事みたいに思うのは…。でも在米社会で傷つく方もいるかなって迷ったら、ある日系の女の方から電話があって、ああ言ったけど実は、私は黒人と結婚してます、でもそれを言うとロサンゼルスの方とつき合ってもらえないと。それで書いちゃったんですよ。そしたら週刊誌に、ありえないことを書くのは国辱ものって言われて。でもあったんだって反論できない。こっそり教えてくれたんで。

 そういうことは他にもありまして、バブルでスペインに土地があって、そこで老後を過ごすとか。そのひとつがオーストラリアで、書こうと思ってオーストラリアに行ったんです(『夕陽をあびて』〈1989〉)。取材するといいことばっかりで、円が強かったから安くて、プールがある家をみんな持っていらっしゃる。ぼくがインタビューしたんですけど、これじゃ(海外に)行きましょうってキャンペーンになっちゃう。そのときも後で電話がかかってきて、ちょっと会ってくれないかって。男の方が、女房は活発だから土地の人たちのグループに入って、英語も上達して、悲惨なのは男だと。プールがあったって泳ぎたくない。でも近所の子どもたちが(泳ぎに)来て、放っとくわけにはいかなくて、掃除が大変で、水をたたえておいて、悪ガキが来る(笑)。外に行っても英語ばかり。孫からビデオテープが来て、見終わると別のビデオ見てると。1日こたつに入ってるみたいで、だからオーストラリアにいらっしゃいなんて書かないでくれと。ぼくもそんなにハッピーなんておかしいと思ってて、それぞれの人の成り立ちがあって、老年になれば別の人格になりにくい。相当困るだろうなって。少しずつ立ち入ると人種差別もあるし、パラダイスかと思ったら絵に描いた餅だったという人もいる。ハッピーな人もいたでしょうけど。私も(当初は)オーストラリアもいいかなって思ったんですけど、ああ人生は甘くないって、いい歳して教えられましたただ振り返ると、何て贅沢な時代だったと思いましたですね。(つづく)  

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