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堀川とんこう × 中村克史 × 長谷正人 トークショー “山田太一ドラマの演出” レポート(2)

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【『男たちの旅路』(2)】

中村「(『男たちの旅路』〈1976〜1982〉)反発はあまりなかったですね。ただ扱っているのが戦時中の特攻体制ですから、山田さんも心配されて。若い奴が表面的なものに引っ張られて、昔の戦争を賛美するようにならないようにしながらこのキャラクターを描いていったと。

 第3部、第4部では吉岡が変わってきて、相談相手になっていく。山田さんは鶴田(鶴田浩二)さんの松竹時代の色っぽいところも見たいというので、若い桃井かおりさんが鶴田さんに惚れてしまって、難病で亡くなる。鶴田さんは北へ旅立つのが第3部の終わりの「別離」です。山田さんもこれで完結という意識だったんですが、戻ってこいという反響もあって、その後で第4部。第3話の車椅子の身障者の「車輪の一歩」は人に迷惑かけてもいいじゃないかというのが何度も出てくる。それを山田さんは書きたくて、もう3話分で復活。後にスペシャルがあって全13本です」

長谷大河ドラマ連続テレビ小説とも違って、不定期にやるという」

中村NHKでやっていた『刑事コロンボ』(1968〜2003)はシチュエーションを一定にして、おんぼろレインコートで出てきて一話完結。ソフトを残していく時代には、こういうシリーズものにも、1年連続というの以外に手を染めとくべきではないかということがありました。脚本家とのトラブルによる作家主義と合致して、こういうシリーズドラマができたと」

長谷「70年代のNHKのドラマを変えようという気運と、山田太一という作家が出会って相乗効果が生まれたということでしょうか」

 

【『岸辺のアルバム』】

 辛口ホームドラマとして名高い『岸辺のアルバム』(1977)。冒頭に最終話のクライマックスを出してしまうというタイトルバックは堀川氏のアイディアだという。

 

堀川「駆け出しのプロデューサーで失敗することはできない。ある程度の視聴率をとらないと後がないですから。頭に洪水のカットがあるのは変で、家が流されるのは最終回。頭につなぐことで少しでもドラマを派手に見せようというプロデューサーの邪な考えが見えるタイトルバックですね(笑)。それをジャニス・イアンの曲が救ってくれてる。前の年に『グッドバイ・ママ』(1976)で同じジャニス・イアンの曲をかけたものですから、味を占めて(笑)」

長谷「オープニングは強烈で、洋楽を使うというのも、まだ高校生で洋楽は好きでしたけどここで使うのかという。映像も音楽もインパクトがありました」

堀川「ディレクターは鴨下(鴨下信一)さんと片島(片島謙二)くんで、鴨下さんの演出が非常によかったんですね。これの前の鴨下さんは器用貧乏というか、社内の評価は必ずしも高くなかった。頭の手術をして休んで、復帰第1作ですよ。それで鴨下は頭打ってよくなったって言われましたけど(笑)」

 

 堀川氏の撮った第12話は、長男(国広富之)が一家(八千草薫杉浦直樹中田喜子)の秘密を暴露する。

 

堀川「鴨下さんと片島くんで演出が回しきれなくなって、どうしても私が1本やらなきゃいけなくなってやったのが第12話です。当時嘆いたんですよ、何でこんな難しい回が突然来ちゃうのよ。プロデューサー業に徹したかったんですけど。いま見ても演出が若いというか、気恥ずかしい。ただ音楽をがまんしてるところはいいなと思いましたけど」

長谷「喧嘩でつかみかかった後で気詰まりというか、八千草さんが階段でぽつんとしてるところとかちゃんと捉えてて、いいじゃないですか(一同笑)」

堀川「みんな若くて綺麗ですね(笑)。八千草さんも。さっきの鶴田さんも綺麗でしたけど。

 当時『男たちの旅路』は、鶴田浩二がやってるってだけで見ませんでした(笑)。やくざ映画の人だってのがあったし、あの人はかねがね特攻隊のこととか言うのが厭で。シナリオで読んだんですよ、ごく最近。シナリオ集で、そしたら面白かったですね(笑)。当時は、こっちも仕事盛りで、案外他局のドラマを見られないもんなんですよ。仕事から外れると時間ができて、たくさん見られるけど」

長谷「『男たちの旅路』だったら鶴田さん、『岸辺のアルバム』は八千草さんですね」

堀川「原作を読んで、この則子っていう妻の孤立感が強烈で。浮気してしまうこの役には八千草さんがほしかった。先輩たちは別の人がいいって言ったけど、私はその人は黒いショーツをつけてる気がする、八千草さんは白いショーツを着てる感じがする、と言って説得しました(笑)。ご本人は、山田さんとふたりでたしか東京會舘で口説いた気がします」

長谷「『男たちの旅路』も一歩間違えれば戦争賛美ドラマ、『岸辺』も間違えればよろめきドラマ。そうじゃないのを出すっていうのは八千草さんにかかっている」

堀川「外から見ると幸福の条件が揃っている中堅サラリーマンの家庭の内実が、孤独だった。それを山田さんが鮮やかに描いていらっしゃって。八千草さんの孤立感がないと許されない。主婦が外へ出て働くようになるちょっと前ですね。

 『岸辺のアルバム』は、すぐに名作となったわけではないですね。大人しいリアクションで、すぐに浮気するわけじゃないですから。竹脇無我が口説いてるのが長い。鶴田さんも綺麗だけど、無我も綺麗ですね。

 山田さんの脚本の特徴、武器のひとつが、ある人物が他の人に接近することで非現実に連れていかれる。『五年目のひとり』(2016)でも渡辺謙さんが少女に接近することで、少女の心が乱れてしまう。『岸辺』では無我っていうメフィストフェレスが現れておかしくなる。日常の中に非日常を持ち込む」

中村「山田さんのドラマは等身大のドラマと言われるんですが、それにだまされると…。強い偏見を持つ人が出てきたり、こういうことを日常の会話で言わないだろうということをあえて言って、普通の人の中に潜っているものを引っぱり出したり。等身大ドラマっていうのは、一説によると堀川とんこうさんがつくられた言葉だと聞いたんですが」

堀川「やっぱり数字がほしくて。地味なドラマだ地味なドラマだって会社で言われるんですよ。タイトルが皇室アルバムみたいだとか、多摩川の昆虫の生態の番組みたいだとか(一同笑)。少しでも宣伝で使えるようなことはないかと。タイトルバックもそうですね、不謹慎な映像になってしまったんですけど」

中村「『岸辺のアルバム』が終わって、その年の秋に『男たちの旅路』の第3部。その第1話「シルバーシート」が、老人が車庫の都電に立てこもっちゃう話で、芸術祭大賞をもらったんですが、山田さんのこのころのエネルギーってすごいですね」 

【『男たちの旅路/車輪の一歩』(1)】

 『男たちの旅路』第3部(1979)の「車輪の一歩」も鮮烈なメッセージがいまなお語り継がれる。演出はもちろん中村氏。車椅子の青年(斉藤洋介)がトルコ風呂に行きたがるシーンは痛切。

 

長谷「トルコに行きたいとドラマの中の人が叫ぶっていうのは、ある意味すごい」

中村「ロケは川崎のそういうトルコ街。怖かったですね、隠し撮りで(一同笑)。

 山田さんが身障者グループとのつき合いがあって、その青年たちの日常、健全者との関わり合いを描くにはガードマンたちのからむこのシリーズがいいんじゃないかということで。車椅子の人ひとりが主人公というのは、ときどきあったんですね。これは車椅子の青年がグループで出てくる。小田急の沿線を、少女(斉藤とも子)のアパートに向かって青年たちが来るっていうのを正面から撮ると、重なっちゃう。誰かひとり185〜190cmのを入れようってことで、新人時代の古尾谷雅人。座高が高いので、ひょこっと見える。斉藤くんとか個性的な連中がやってくれて」(つづく 

 

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