【『岸辺のアルバム』(2)】
山田「シナリオ学校の先生方が言うようなリアリティにしびれることもあるでしょうけど、それじゃ物語の意味がないって人も当然いますね。それぞれに、いい作品と悪い作品がある。ほんの短いのでもずっと後に残っているとか。
ただ映画の場合は、偏りがあるのかな。いま普通の人は、戦争のときに比べれば、幸福の絶頂にいる。食べ物も薬もあって、この先何年生きるのって嘆く人もいる。そういうところで無理してマイナスをさがすって、身につかなくなってくる。だから暗い話の値打ちもあるのかな」
和田「山田さんの魅力は、娯楽性とリアリティの塩梅なんですね。リアルだから、娯楽的な部分でおっ!となる。ずっと娯楽、娯楽ではつまらなくなる。
でもエッセイやインタビューでは、はっきり娯楽というのはやりたいと思っていらっしゃらないんじゃないかな、と。是枝裕和さんとの対談を読んでいても、おふたりで派手な物語は好きじゃないという合意が形成されていて、全然おれと違うと暗澹たる思いになって(一同笑)」
山田「どちらかというと、ぼくは地味で面白いものが好き(一同笑)。人妻が浮気するなんて、派手じゃないでしょ」
和田「『岸辺のアルバム』(1977)の描き方だと、大変な事件ですよね。電話があって、迷って、そういうのが積み重なるという構成は…」
山田「浮気が周囲で起こっていたらショックだろうし、浮気はよくあるって鼻で笑ってしまったら成り立たない。ぼくは大人ぶるのが厭なのね。女遊びをいっぱいしていたり、酒飲んで荒れたり、そういうのはぼくにもあるけど、それを書くっていうのはあまりないな。それより、並みの生活を普通に送っているけど内部に抑圧があるとか、そういうほうがドラマティックかな。派手なことやって、若い人を相手に大人ぶるとかねえ」
和田「ああ、ぼくのはあんまり…(一同笑)」
山田「でも自分の書きたいものを徹底していらっしゃるから」

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【『早春スケッチブック』】
『早春スケッチブック』(1983)では、平穏に暮らすひと組のステップファミリー(岩下志麻、河原崎長一郎、鶴見辰吾、二階堂千寿)の前にミステリアスな男(山崎努)が現れる。
「ありきたりなことを言うな。お前らは、骨の髄までありきたりだ」
長男(鶴見)の実の父親を自称する彼の出現に一家は揺れ動くが、実は彼は病に冒され、余命わずかであった。
和田「山崎努さんの“お前たちは骨の髄までありきたりだ”っていう有名な台詞、女房と言い合ってるんですが(一同笑)。山崎さんは、ドラマの中で正しい人として出てきてる。通常、その人は正しいままで、みなが改心して折れるというか。でも『早春スケッチブック』では、山崎さんが反省する。“何か印象に残ることを言いたかったのかもしれない”と。それによってリアリティがある。よかったです!(一同笑)
『男たちの旅路』(1976〜1982)の吉岡さん(鶴田浩二)も正しい存在で決め台詞みたいなのがあるけど、やっぱりずれていて、若い水谷豊さんたちが指摘する。そういうのも好きです!(一同笑)」
山田「『早春』での反俗、役に立つものを軽蔑するというのは、19〜20世紀の哲学者、芸術家には結構いましたですね。ニーチェとか、普通に暮らしている人は魂が死んでいると。マゾヒズムだって、あのころは存在を賭けてマゾヒズムであろうとする。そういう価値観や美意識を家庭に持ち込んでみたかった。
でもお前らなんなんだって、そんなのテレビでやったら反感を買うだけですから、結婚を拒否して逃げた男がもうすぐ死ぬから強い印象を息子に刻んでおきたい。それがあれば中和すると。バカにされた河原崎長一郎さんが、おれは毎日がんばってるのに魅力がないなんてたまるか、と。娘にもお父さん魅力出してよって言われて、最後はみんなで山崎さんを看取って終わるんですが。いろんな設定を使わないと、普通の感覚を批判するってできないんですね。それと、山崎さんでないとできない。山崎さんと長一郎さんがいて、その中間に岩下志麻さんがいる。この前、『早春』を語る集いがあって、視聴者の方に“あんな綺麗な主婦はいません”って言われて(笑)」
和田「何でこの旦那に、こんな綺麗な人がって(笑)」
山田「連れ子がいて、前の男がひどかったからですね。長一郎さんは、普段は大酒飲みだったんですが(一同笑)、でも普通の人をやるとうまいですね」(つづく)
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