私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

渡邊孝好監督 トークショー レポート・『君は僕をスキになる』(1)

f:id:namerukarada:20180706123952j:plain

 バブル経済の華やかなりしころ、女性ふたり(山田邦子斉藤由貴)の友情と恋のさやあてを描いた佳作『君は僕をスキになる』(1989)。

 他愛ない恋愛映画ながら、長回しや移動撮影など凝った映像設計やセット、老練なカット割りなど意外と旨みのある作品で、映画評論家の故・田山力哉が期待しないで見たら収穫だったなどと評していた(『現代日本映画の監督たち』〈現代教養文庫〉)。

 監督は、本作がデビューの渡邊孝好。脚本は、前年にテレビ『君が嘘をついた』(1988)にて初めて連続ドラマの脚本を手がけ、後に『101回目のプロポーズ』(1991)や『高校教師』(1993)などを大ヒットさせる野島伸司。企画には秋元康が名を連ねている。主題歌は山下達郎の「クリスマス・イブ」。

 12月に神保町にて“斉藤由貴映画祭”が開催され、渡邊監督のトークショーが開催された。

 渡邊監督は、鈴木清順監督に師事したり、斉藤由貴主演の『恋する女たち』(1986)などの助監督を務めたりした後、『君は僕をスキになる』にて監督デビュー。テレビ『女にも七人の敵』(1996)、『喪服のランデヴー』(2000)、『死者からの手紙』(2001)、『緋色の記憶』(2003)など海外の小説を翻案したテレビ作品も素晴らしかった。『喪服』『緋色』の脚色を手がけた故・野沢尚の舞台に渡邊監督が見に来られて野沢氏と話しているのを筆者は見かけたことがある(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りなので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

渡邊「(『君は僕をスキになる』は)プログラムピクチャーなので、映画祭なので上映されることもなかったようで、フィルムで上映されるのは嬉しいこと。DVDが出るのは遅くて、大森(大森一樹)さんの斉藤由貴3部作といっしょにこれ出すぞ、と。見たのはそのとき以来。特典で大森さんと対談したり。

 (公開の)直後にも思ったけど、ちょっと恥ずかしい。拙いなって思うところも何箇所か」

 

【企画の発端】

 渡邊監督は、斉藤由貴主演で『雪の断章』(1985)や『あ、春』(1998)を撮った故・相米慎二監督を意識していた。

 

渡邊「『雪の断章』ではチーフ助監督の榎戸(榎戸耕史)さんを知ってて、横目で見ていた。ぼくは大森さんの助監督をけっこうやってて、『恋する女たち』では脚本づくりにも協力してて。(斉藤由貴は)かわいいし、懸命でいいなって思ってましたよ」

 

 企画・脚本・出演者の決まった段階で、渡邊監督が起用された。

 

渡邊「山田邦ちゃんが人気絶頂で、山田邦子ありきで企画が進んで、ぼくはその後で呼ばれた。

 おれもいい歳で、もう助監督やりたくないなって。ヨーロッパ放浪の旅に出ていたら、大森さんから電話があって『花の降る午後』(1989)のチーフ助監督やってくれと。そのとき、斉藤由貴の新作の監督をさがしていて、渡邊でいいと。大森さんも“やったほうがええよ”って。チーフだけど(『花の降る午後』の)仕上げはせず、でも大森さんは“ああ、そんなもんええよ。やったらええやん”と。撮影してた神戸から東京へ行く新幹線で台本を読んで、こんなラストできるわけないと思って。野島と会って、いきなり喧嘩(一同笑)。

 野島くんはおれより若くて、20代半ば。生意気で(一同笑)。彼もぼくも阿佐ヶ谷に住んでて、“ぼくは『ソフィーの選択』(1982)が好きなんですよ!”って言うから、“え、お前のドラマからそれは感じないな”(一同笑)。(台本を)直したのは2、3割。台詞はそのまま使って」

 

 シナリオでは、ラストは山田邦子が電車を運転して斉藤由貴と相手役の加藤雅也を会わせるというものだったという。

 

渡邊「まるで『銀河鉄道999』。あんた書くのは簡単だけど、乗っ取って運転して間に合わせるというのは…。これはバブリーでチャラくて嘘っぽいけど等身大に近い話だから。野島くんもしょうがないねって。

 メインの4人(山田、斉藤、加藤雅也大江千里)はもう固まってて、由貴ちゃんはよく知ってて、大江千里くんは(助監督を務めた)『法医学教室の午後』(1985)で知ってた」

 

 企画の秋元康は、斉藤由貴に名前を読み間違えられる男性役で登場。

 

渡邊「秋元さんはこれやれば売れるって考えて、話は野島に振って。秋元さんとは製作発表まで会ってない。“サルトウブタヤ”って言われる役で出しちゃえと。現場で本人は“悪意を感じるな”って(一同笑)。

 (相米慎二監督の下で助監督を務めた)榎戸さんの『ふ・た・り・ぼ・っ・ち』(1988)の助監督をやって、それで相米流映画づくりに触れた。大森流、自分の出自である鈴木清順流と合わせて、『君は僕をスキになる』をどう組み立てようかなと試行錯誤しました。

 (企画を聞いたとき)これかよ?って思ったけど。ヒットしたから生き残れたけど、こんなチャラくて、お膳立ても全部あって…。

 達郎さんの歌は企画段階でモチーフになってて、これが主題歌かな。その年の12月に、JRのCMでも流れた」(つづく