【実写とアニメーション (2)】
橋口「『はじまりのみち』(2013)を見ると、風景の切り取り方がアニメのときと同じですね。『河童のクゥと夏休み』(2007)によく似ていて」
原「ああ、そうですか!? そんなに注文してないんだけど。カメラマンの人がおれの作品を見て取り入れたのかな」
橋口「でもレンズは覗くんでしょ」
原「ええ。カメラマンに言われて印象に残ってるのは、いろんなタイプの監督がいてモニターしか見ない人もいる、でも役者のそばにいたほうがいいですよって言われて、そうしようと。おれがいると何か変わるのか判らないけど、それを教えてもらったかな」
橋口「役者って心細いから、演出するときは、常にずっとそばにいる。特に今回は新人ばかりだったので頭ごなしに言うんじゃなくて、そばにいると」
原「忙しい人は親の死に目に会えないっていうけど、実写の監督は本当にそうなんですよ。もし親が死んでも行けないなって。アニメの現場なら、ちょっと何日かは行ける。実写は無理で、何ておそろしい仕事だろうって」
橋口「そうですね。1日空けると大変なロスになる」
原「(孤独を感じるのは)絵コンテを書いてるときかな。精密な設計図を書くような気持ちで、思いつけることは全部書き込む」
橋口「脚本みたいに文字だけじゃないでしょ」
原「秒数を入れて動きも決め込む。こう描くって決まりはないけど。ぼくはアニメーション出身じゃないので、自分で作画ができない。だから決め込んで、人に相談しちゃいけないと。絵コンテの段階で、ぼくにとって映画が完成。あとは大工さんが、がんばってつくってくれる。(『百日紅』〈2015〉では)いままでの作品のなかでいちばんいいアニメーターが集まってくれた。いいアニメーターはなかなかいない」
橋口「ずっと孤独ですよ、映画監督は。ぼくは自分で脚本も書きますし」
原「実写でもアニメーションでも、監督は孤独じゃないとダメなんじゃないかな。みんなと和気藹々でつくっても…」
橋口「こういう表現にしたいって言っても、伝わらないことが多い」
原「監督やってる以上、孤独は常につきまとう」
橋口「アニメーターは放っといても“監督の意図はこうだ”と言い合って喧嘩になるっておっしゃってましたね」
原「ああ、おれそんなこと考えてないのにって(一同笑)」
橋口「役者は自分のことしか考えてないですからね。アニメーターさんの喧嘩がうらやましいです」
原「役者さんがここまで考えてくださったっていうのはないですか?」
橋口「ありますよ。逆にこういうことだったんだって判ることもある。今回(『恋人たち』〈2015〉)だとあて書きなんだけど、主人公の義理のお姉さんの和田(和田瑠子)さんが、妹が殺されて婚約破棄されたと喋る。ほんわかした喋り方なんだけど、あえてその役を振った。なかなかできなかったけど、リハーサルをやって、彼女自身もバックグラウンドがあって、ばっと出た瞬間。彼女も引き裂かれてる。主人公より、このお姉さんのほうがきついんじゃないかなって。
主人公は篠原篤が演じてくれて、ぼくの投影から離れていった。どうしようもない思いを抱えた人間になった」
原「橋口さんの思いと篠原さんの思いとがイコールでないのがよかったと?」
橋口「イコールにしようとは思ってないです。追体験はできないし。体験として話すけど、その通りに演じてほしいとは思わなかった。彼なりに30ぐらいの男の人が持ってる世界観で考えて演じてくれればと」
原「書かれた台本をリハーサルのときに直したりは?」
橋口「ほとんどないです。でも冒頭ではアドリブとか、いくつか撮りました。リラックスさせるために、彼の得意なエチュードをやらせるとか。そのうちのひとつを映画で使っていますが、あとは台本通りです」
原「ぼくは、即興で新しい台詞が生まれたのかなって」
橋口「それはないですね。
これから、明け方に『恋人たち』を見るのはきついですよ(一同笑)」
原「『恋人たち』はエンディングの最後まで見てください。何かが待っています」
【その他の発言】
木下恵介監督の生誕100年では原監督が『はじまりのみち』を発表し、橋口監督もシンポジウムに登場。
原「これだけ言ってもまだ見ないのはダメ。『永遠の人』(1961)と『日本の悲劇』(1953)は見てください。それで見ないなら、さよなら(一同笑)」
橋口「『日本の悲劇』は最後で自殺しちゃう。大変な悲劇です」
原「そういう作品があって、ぼくらもいまつくってる。まだ見てない方は見てもらいたい」
橋口「きょうはお互い誉め合いました。原さんにもうちょっとお酒飲ませれば…(一同笑)」
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