【斉藤由貴はじめ俳優陣について】
渡邊「売れっ子アイドルだったけど、彼女(斉藤由貴)は敬虔なクリスチャンで、考え方が堅いというか箱入り娘みたいなところがあって、だったら(『君は僕をスキになる』〈1989〉の)役の中でも地を出せばいいと話してましたね。
台本には催眠術で犬になるところまで書かれてて、それでどうなるかって。原宿だから電柱に登って、明治通りを走ってくれと。
図書館の前で転ぶのは斉藤由貴のアイディアで、“転びたいです”と。ぼくは、じゃあ転べばと(一同笑)。あれは膝を4、5針縫う怪我で、あそこまでこけると思ってなかった。判ってたらサポーターとか用意するけど。まあ犬だからね(笑)。彼女がアイディア出してきたのはそれくらいじゃないかな」
山田邦子がクレジットでは上だが、山田と斉藤由貴とW主演のような印象を受ける。
渡邊「売れているふたりだから、多分それぞれライバル視してた。映画初出演の山田邦子のほうが意識してたかな。言葉のやりとりで、ぼくはそれを感じてた。お互いに刺激し合いながらやってた。
カメラの藤沢順一は、邦ちゃんを見て、笑って揺れてた。邦ちゃんは本番になると、思ってもみないことをやる。それはよしとして、ほんとは揺れるのはよくないんだけど。
これは斉藤由貴の映画なのか、山田邦子の映画なのか。それぞれ、自分が主役だと思ってる。野島伸司は、“君は僕をスキになる”という台詞を斉藤由貴のために書いてるけど、邦ちゃんは自分も言いたいと。プロデューサーは、“監督、考えて”って。そういうときだけ…(一同笑)。それで自分に向けて言うってのがせつないかなって、ひねり出した。
加藤雅也の役はチャラいよね。スーツを開けると、口紅がたくさん入ってる。あれは野島伸司の台本に書いてあって、まだ新人監督だったから、いまなら拒絶してたけど。もう一度見たくないのはあそこ(一同笑)。
大江くんは『法医学教室の午後』(1985)で初めて会って話して、役柄についてディスカッションしたりして、やりやすい。でもメガネ落ちてもいいけど、メガネない顔はダメって言われて。結構不自由でした」
【撮影現場のエピソード (1)】
渡邊「走って動いてが由貴ちゃんの映画では必要だろうと。それをワンカットで、と相米さん、榎戸さんに影響されたところがあって。『ふたりぼっち』(1988)の最後は十何分のワンカット。チーフ(助監督)は自分で、ずっと人を止めてやった。それで、できるだろうと陸橋の場面は人を止めて。犬になるシーンは、原宿でクレーンを使って撮影しました。
『恋する女たち』(1986)ではふられて街をさまよう。このシーンは重要なファクターになると(制作中から)言ってて。ひとりで彷徨するというのは、女の子の心模様を表現しやすい」
冒頭では、男ふたりがヘリに乗ってシャンパンをまく。夜間に、実際にヘリに乗り込んでいる。
渡邊「上空からシャンパン降らすとか書くのは簡単だけど、あのシーンはヘリ2台使った。ひとつは役者乗せて(彼らの顔が映るように)扉も外して。CGもないし、シャンパンを本当に降らせた。みなとみらいでやりたいって言ったら反対されて、でも無理が利いていた時代。スタッフが何とか画策して物づくりをしていた時代で、いまでは絶対ありえない。いまはコンプライアンスの名の下に、足が縛られる。当時はまだ映画魂がありましたね。
(原宿のクレーン撮影も)いまでは無理。道路の撮影許可が出ないし、東京ほど撮影に寛容でない都市はないですね。
もう時効ですが冒頭の京浜東北線と山手線のシーン、タイミングを合わせるためにいろいろやっています。チーフ助監督の大原(大原盛雄)が喧嘩のふりして駅員の注意を引こうとして、でも無視された(一同笑)。次はひとりでドアに挟まれて倒れて、OKが出た後で、いい芝居だねって言ったら、あのときほんとに貧血だったらしい(一同笑)。監督がやりたいって言うと、許容範囲を越えることでもみな動いた時代です」(つづく)