【『雪の断章』について (2)】
榎戸「東宝で参考試写をしようとなって、成瀬(成瀬巳喜男)の『乱れる』(1964)を見ました。ひとつの家で禁断の恋という話です。
家の中を渡り板ひとつで行き来する、この『乱れる』の渡り板をつくってくれと美術の小川(小川富美夫)さんに相米さんは言ってました(笑)。ただ小川さんは、頭の(シーンの)セットをつくるのが大変で、どう配置するかをみんなで考えました。それでなかなか渡り板まで行かなかったけど、相米さんは『乱れる』のようなメロドラマとして撮ろうと思ってたようです」
田中「『セーラー服と機関銃』(1981)の薬師丸(薬師丸ひろ子)のときは、敵がいたんです。それに向かって機関銃を撃つ。この作品はないんですよ。罵倒されるわ、災いが降ってきて、耐えてることで主人公のキャラクターが浮かび上がる。監督は多分だいぶ悩んだと思いますね。ピエロ出て来たりとか、あれは相米が「ぼく悩みましたよ」という(一同笑)」
榎戸「伊地智(伊地智啓)さんも、夏に冬を撮るぞ、雪を夏につくるぞということで。外で撮るときも火をたいたり、全部つくりものの世界でやってました。話全体がつくりものなんだと伝えるには、頭のシーンをああいうふうにしようと。確信犯で、見る人に最初からつくりものだと判ってほしいという相米の意図があったんだろうなと思いますけどね」
田中「斉藤由貴はあんまりかわいくないなあ(一同笑)。相米が由貴にすまん、悪いことしたと後で言ってたんですね。薬師丸のことをゴミだとか言ってた監督なのに。松竹で『あ、春』(1998)を撮ったとき、斉藤由貴を無理やり使ったんですね。見てたら、斉藤由貴はちょっと変な奥さんで」
榎戸「精神的に追いつめられた役柄でした」
田中「やっと判ったんだけど、ちょっと変な人だとか斉藤由貴の役柄に付与すべきものが『雪の断章』(1985)では足りなかったのかな。もっとやらせられたのに、メロドラマというのに縛られちゃって。せっかく斉藤由貴を使ってんのに。それで松竹では変な芝居を。ずっと気になってたんですよ。何ですまないと言ってたのか」
黒沢「相米さんは斉藤由貴のポテンシャルに気づいてたんですね」
田中「そりゃあ相米は『セーラー服と機関銃』では薬師丸を逆立ちで登場させたんですよ(笑)」
榎戸「相米さんはいつも最初に(役者に)嫌われるんですよ。怒りを持てと、あえてやってたような気がしますね。普通の女の子というのを突破するには、憎しみみたいなのを持たないと成立しないってもしかしたら考えてたのかもしれないです」
田中「試写終わって、笑っちゃったからね。頭で映画は終わってるじゃないかって相米に言ったんですよ(一同笑)。あの長回しで終わってて、後はいらないんじゃないの(笑)。これでもう相米との次の仕事はないと思ったんだけど、次もあった」
榎戸「試写を見終わった佐々木(佐々木丸美)さんは怒り心頭で、これはソフトにしないでくださいと言ってたみたいです。キティ(キティ・フィルム)から少し聞こえてたんですが」
田中「ピエロが踊ってるからね(一同笑)」
榎戸「殺人に至る件りって、岡本舞ちゃんの部屋とかレオナルド熊が取り調べるとかばっさり切っています。3人のメロドラマの比重が多すぎて、謎解きが何もないということかなと想像しています」
田中「原作はまるで記憶にない(一同笑)。いろんなしがらみでぎりぎりできたのが、あれなんです。だからピエロが踊ってる(一同笑)」
黒沢「何でこの作品を今回上映したのかと言いますと」
田中「それがわかんないな(一同笑)」
黒沢「荒井晴彦さんも何でこの作品なんだと言われてたんですが、なかなか見る機会がないということで選ばせていただきました」
田中「恥かきました(笑)」
【監督たちの想い出 (1)】
黒沢「1981年のインタビューで田中さんがいちばん好きな自作はと訊かれて、いちばん最近の映画ですと答えていらっしゃいます。『女教師 汚れた放課後』(1981)のことでしょうか」
田中「幸せだったのかなあ。いまは不幸ですよ(一同笑)」
黒沢「いまいちばん気に入っていらっしゃるのは何ですか」
田中「うーん、いろんな映画書きましたからね」
黒沢「34人の監督さんと組んでいらっしゃいます」
田中「え、そんなに。(印象が)悪いほうで言うと鈴木清順さん(一同笑)。『殺しの烙印』(1967)で、打ち込みって言って封切りの初日の午前中に担当が見に行って見当つくんですが、新宿日活で30人しか客がいなかったって(笑)。大和屋竺、曽根中生と3人でホン書きました」
黒沢「いま見るとかっこいいですね」
田中「そうでしょ(一同笑)。試写見て傑作だねって言って、封切ったら…。新宿日活は2階席まであったんですよ。それを数えて30人(一同笑)。最悪の記憶ですね」(つづく)