――テレビを作るのが難しい時代になった?
君塚:番組制作の現場も僕がやっていた時代より、20~30代の若いディレクターとかスタッフたちが、組織の中の駒になっちゃっていて、新しいことができなくなっちゃっているとは思います。テレビはもともと変なことを作るメディアとして生き残ってきたのに、突出した企画を出しづらい状況にはなってしまった。今は新しいことをやっても視聴率のことがあって待ってくれない。番組が育つのには時間がかかるんです。昔は半年と言われていたけど、今は、あるアイデアが完成する前にちょっとケチ付けられちゃう感じがあって、3ヶ月くらいしか待てない。面白いことでも数字がついてこなかったり、コンプライアンス的に少しでも問題があったりすることはやるなと言われる。そうするとかつて先輩たちがやってきたノウハウを使うだけになってしまい、安全策ではあるけど、一方で古いと言われてしまう。すごい矛盾を抱えていると思います。
――そんな中、劇中(引用者註:映画『グッドモーニングショー』〈2016〉)でさまざまな角度から矢面に立たされる澄田役を中井(引用者註:中井貴一)さんに任されたのはどのような思いがあったのでしょうか?
君塚:いじめられるのが上手い方って、海外で言うとウディ・アレンみたいな方がいるじゃないですか。それで日本でウディ・アレンみたいなお芝居の上手い俳優さんを考えたら中井貴一さんという感じがしたんです。僕の中の演出の言葉で言うと「中井貴一いじめられる」というのがあったんです。だからどんどん防爆スーツを着せられて、女性からもよくわからないけどガーッてやられちゃう。テレビとかメディアが言われていることを象徴するキャラクターにできると思いました。
―― 一方で、現代の視聴者の声をある種凝縮したのが、濱田(引用者註:濱田岳)さんが演じる犯人・西谷になりますよね?
君塚:この作品のテーマは「テレビメディアとはなんぞや?」というのと、もう一つが「対話」なんです。昔から投書などで視聴者の声は拾ってきているので、僕らもたった一枚の葉書で全ての疲れが取れたこともあるし、逆に、精神的に大打撃を受けたこともあります。それが今は拡散されるようになった。当時は僕らと投書してくれた方との対話だったのですが、今は同時に他の人も目にするようになって対話が成り立たなくなってしまった。親子、学校、会社、ネット上もそうですが、僕の中でほかにもいろんな思いがあって、今や対話は死にかけていると思っているんです。本来、この手の事件モノを書くときは、どちらかの説得によって改心するというのがセオリーですが、僕の中では、中井さんが説得して、濱田くんが「そうか僕がいけなかった。気持ちをわかってくれたならもう良いです」と言って銃を置くという芝居をしてもらうことは、今の時代にそぐわないと思った。かつてはできたかもしれないけど。だから、対話が成り立たないようにしてくれと二人にお願いしました。
――中井さんと濱田さんが作り上げた立てこもりシーンの臨場感と緊迫感はすごかったです。
君塚:濱田くんには演出上「とにかく嫌なおじさん、お父さんが、偉そうなことを言っていると思ってくれ。何を言われてもイラついてくれ、濱田くんが演じていてカッとなったりしたら、台詞を切っても良い」と伝えました。だからいくつかのシーンは中井さんがまだしゃべっているのに「うるせえ!」と怒鳴るなど、脚本とは違う流れになっているんです。あれはリアリティがあってすごかった。中井さんには「自分の息子は説得できないけど、こっちはできるかもしれない。テレビで視聴者が見ているからできるだけ頑張ってくれ」と言ったんです。「濱田さんが銃を置いたり泣いたりしても良いから」って。ところが濱田さんが会話を拒否するから、中井さんもどんどん興奮していった。最終的には怒鳴りあいになるのですが、あそこは台本のイメージを越えたところですね。つまり、二人の演技によって別の興奮というか真実が見えてきた。声を大きくして圧力をかけるというのは、それはもう対話ではないんですよ。本来、対話は成立させなくてはいけないのだろうけど、この作品で描かれた二人のやり取りが現代の真実なのかなと思っています。
――時任(引用者註:時任三郎)さんも真に迫るモノがあると仰っていました。
君塚:本当にすごくリアルですよ。中井さんは中井さんが積み重ねてきた感性で、濱田くんは濱田くんの年代だからこそ持っている感性でやっているし、二人の感性のぶつかり合いですよね。それによって生まれたアドリブの台詞もたくさんありました。だけどやっぱり「違う世代がわかり合えました」というファンタジーにはならなかったということです。
――そして、最後には視聴者投票を使った「ある展開」が待っています。あれをテレビ業界で働いていた人が描くのは勇気のいることではないのかなと思いました。
君塚:そうですね。基本的には創作として伏線を張り、それを回収していくことになるのですが、この作品でやったような使い方をするのは、本来はとても大変なことです。ワイドショーである『グッドモーニングショー』の視聴者投票は遊びで使っているだけであって、あれをもし報道番組が支持政党の調査などで使ったらとんでもないことです。もちろん遊び心のある視聴者投票にしたって、やっていいことではありません。テレビ局の人間に台本を監修してもらうと、やっぱりあのシーンについては「これをやったら全員のクビが飛んでしまう」と言っていました。
――本当に攻めたシナリオだなと思いました。
君塚:完全にアウトですからね。物語の中の機能として使っているだけなので、あそこにフォーカスして脚本を書いたら、そのあと社長が国会に呼ばれて……とか、さらに1時間はいけますよ(笑)。
――自分で聞いておいてなんですが、ここまでお話を伺っているととても社会派な作品に聞こえます。ですが映画を観るとテイストとしてはコメディです。この物語をコメディとして演出したのはどうしてですか?
君塚:朝の情報番組の取材を重ねていくうちに、作品で描いたように、調子に乗ったり、とき暴走したり、視聴率のために物事を大げさに言ったりしているのが見えてきたんです。だけど、同時になんとか視聴者に伝えようと本当に頑張って努力している。その姿を見て「これは喜劇だな」と思いました。『踊る大捜査線』のときに、刑事を取材したときにも「張り込み中にデートだから帰っちゃった」ということを聞いたときも「これ喜劇じゃん!」と思った。あのときも基本的には縦割り社会の警察の構造などを描きつつもコメディのテイストにしました。今回も本人たちは大まじめだけど、端から見ていると笑えちゃう。だからコメディというより喜劇というのが正しいのかもしれないですね。(つづく)
以上、日刊アメーバニュースより引用。