私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

寺田農 × 速水典子 × 志水季里子 × 榎戸耕史 トークショー(甦る相米慎二)レポート・『ラブホテル』(1)

f:id:namerukarada:20201120064200j:plain

 1980年代の日本映画を代表する人物のひとりとしてよく名が挙がるのが、故・相米慎二監督。『セーラー服と機関銃』(1981)、『魚影の群れ』(1983)、『台風クラブ』(1985)といった作品群において、長回しのつるべうちで独特でアナーキーな世界をつくりあげ、この時代にカリスマ的な人気を誇った。

 今年の1月から全作品が渋谷のユーロスペースにて上映された。のべ30人にのぼるスタッフ・キャストが日替わりでトークに登場。ひとりの映画監督でこれほどの規模のトークが行われるのは、空前のことであるという。

 2013131日、『ラブホテル』(1985)の上映後に出演者である寺田農・速水典子・志水季里子のトークショーが行われた。

 『ラブホテル』は “にっかつロマンポルノ” のレーベルで制作されており、1970年代ににっかつにて助監督を務めていた相米監督にとっては古巣に帰った思いだったかもしれない。シナリオは、漫画家・映画監督として知られる石井隆が執筆。 

ラブホテル

ラブホテル

  • 速水典子
Amazon

 経営する小さな会社がつぶれ、借金の取り立てに来たやくざに目の前で妻(志水季里子)を手込めにされてしまった村木(寺田農)。死を決意して、ホテトル嬢・名美(速水典子)を呼んで痛めつけるが、彼女に魅せられた村木は死なずにタクシードライバーとして再起。2年後のある夜、ふたりは偶然再会するのだった。

 今回のトークではメインの役者さん3人が登壇した。トークの進行役は、多数の相米作品にて助監督を務めた榎戸耕史監督。

 

【準備段階】

 寺田農さんはアニメ映画『天空の城ラピュタ』(1986)のムスカ役で知られるが、相米慎二作品の常連俳優で全13本のうち10本に出演。出演していない『お引越し』でもメイキング番組のナレーションを務めた。『セーラー服と機関銃』(1981)や『ションベンライダー』(1983)などすでに相米作品を経験済みで『ラブホテル』のころは台本を見て自身の役を選んでいたという。それゆえ助監督だった榎戸耕史監督とは周知の仲。

 

榎戸「『夜叉』(1985)だったか、寺田さんが仕事をされている東宝撮影所に行って、食堂で今回どの役をやりますかと」

寺田「台本を見て、ああ石井隆さんが書いたんだって。じゃあおれ村木をやるって」

榎戸相米さんは「え、農さん村木をやるか」と」

 

 相米監督は、村木役には別の俳優を想定していたらしい。 

 舞台やテレビと違って、映画では一般にリハーサルはあまりやらないが『ラブホテル』は低予算で撮影に10日しかかけられないということで、事前にリハーサルが行われた。もっとも演技の稽古というより、ストーリーや設定について議論・雑談する場であったようである。

 

寺田「昼の12時から酒飲みながら始めて5時頃に新宿に移動して飲むと」

榎戸「にっかつ芸術学院とか劇団ひまわりとか、いろいろなところを借りてリハーサルしましたね。ひまわりでロマンポルノかって(一同笑)」

寺田「散々何日も話した後、相米が「ひとつだけ判ったことがある」と言い出した。「何が判ったんだよ」「この名美は、大股で歩く!」「それだけかよ!」(一同笑)」

速水「大股ってことで、歩く効果音は、私の足音じゃなくて男性スタッフがヒール履いた音を使ってましたね(笑)」

寺田相米とふたりで『ラルジャン』(1983)を見に行ったとき「映画は、画より音だ」と言ってた。靴音もそうだけど相米の映画はいつも効果音にすごくこだわってる」

【撮影現場 (1)】

 撮影はわずか10日間で、連日徹夜の作業となった。

 

榎戸「昼12時スタートで、終わるのが翌朝の7時とか。で、きついので1日だけ休日を入れました」

寺田「監督が役者とリハーサルしてる間、スタッフは寝てる。で、スタッフが準備してる間、役者は寝てると。でも速水さんが寝ると、監督は「起きろ!」と起こしてた(一同笑)」

 

 ちなみに撮影に使われたラブホテルは、会場となったユーロスペースから歩いて2分程度のところにいまも現存するという。

 

榎戸「あまりにきつかったから、その後2、3年はこの辺へ来たくなかったですね」

つづく

 

【関連記事】寺田農 トークショー レポート・『ラブホテル』(1)