私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

“小林信彦プレゼンツ これがニッポンの喜劇人だ!” ビデオメッセージ レポート

『コラムは笑う』(ちくま文庫)や『時代観察者の冒険』(新潮文庫)などの著作で知られる作家・小林信彦。5月に代表作『日本の喜劇人』が決定版(新潮社)として刊行、渋谷では小林氏の選によるコメディ映画特集が開催されている。映画『人も歩けば』(1960…

本多勝一と文藝春秋・殿岡昭郎『体験的本多勝一論 本多ルポルタージュ破産の証明』(2)

「あの本多記者はどこに行ってしまったのだろうか。アラスカとニューギニアにつづいてベトナムでも本多記者は「足で書く」記者であったはずである。もちろん『戦場の村』の内容や方法についても批判は多い。しかし本多氏は現場に行って事実を確かめたうえで…

本多勝一と文藝春秋・殿岡昭郎『体験的本多勝一論 本多ルポルタージュ破産の証明』(1)

かつて朝日新聞記者(当時)の本多勝一と文藝春秋とが裁判で争った。本多は1964年に文春の主宰する菊池寛賞を受賞しており、当初の関係は良好であったが、月刊誌「諸君!」1981年5月号に本多批判が掲載されるなど両者の対立は深まっていく。やがて本多は文春…

三谷幸喜と “成長物語”・『記憶にございません!』

監督映画『記憶にございません!』(2019)は大ヒット、2021年には初のネット配信ドラマ(『誰かが、見ている』)に挑戦、2022年度の大河ドラマの脚本を手がけることも発表され、変わらずヒット作を送り出している三谷幸喜。

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(6)

物語をとおして現実の自分を見つめる 自分史を書くことが、このごろはやっております。自分のことを書くのはとてもよいことです。しかし、自分が死んだあとに、子どもが読んだり、だれかが読んだりすることを考えると、どうしても自分のことを飾ってしまいま…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(5)

ドラマというのは有機体のようなものだと、私は思っています。無意識の部分や理屈にあわない部分が排除されたドラマはつまらない。すべてが論理的で、全体が明晰に見渡せるドラマは、とてもうさんくさいのではないかと…。 『荘子』という本におもしろい話が…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(4)

テレビ番組なども、あたりさわりのないものがよいとされています。何年か前に、「このごろバカが多くて疲れますね」と桃井かおりさんがつぶやくコマーシャルがはやりましたが、すぐ放送禁止になってしまいました。バカというのは、病気の方や障害者の方を言…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(3)

変わらない「物語」と、変わりつづける「現実」 いかに絵空ごとのドラマであっても、物語と現実とは互いに連動し、関わりあっていなければ、みんなを楽しませることはできません。

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(2)

質よりも量に価値を求めるテレビ業界 人間の権利、人権は平等ですが、人間の存在は平等ではありません。存在までもが平等なら、男性はみんなキムタクとおなじ顔をしていなきゃ不平等ですし、女性は沢口靖子さんみたいな顔をしていなきゃならない(笑)。けれ…

山田太一 講演会 “物語のできるまで”(1997)(1)

1997年9月25日に、脚本家の山田太一先生の講演がNHK京都文化センターで行われた。講演は小冊子「物語のできるまで」(オムロン)にまとめられており(刊行時に加筆されている)入手することができたので以下に引用したい。明らかな誤字は訂正し、用字・用語…