監督映画『記憶にございません!』(2019)は大ヒット、2021年には初のネット配信ドラマ『誰かが、見ている』に挑戦、2022年度の大河ドラマの脚本を手がけることも発表され、変わらずヒット作を送り出している三谷幸喜。
その三谷との対談の際に映画監督の是枝裕和は、三谷に「是枝さんは連ドラでやりたいこと全部やったでしょう。僕は連ドラでやりたいことをやったことは一度もありません。映画もそうです」と言われたという(『映画を撮りながら考えたこと』〈ミシマ社〉)。『古畑任三郎』シリーズ(1994〜2006)などは『刑事コロンボ』(1968〜2003)を自己流につくってみようという発想であったそうで「やりたいことをやったことは一度もありません」というのは言い過ぎでは…と感じてしまうが、本人としては、少なくとも近年のテレビや映画では商業性を強く意識して注文に応じているということだろう。それでは彼の「やりたいこと」とは具体的に如何なるものであろうか。
三谷は自らの原点のひとつとして『奥さまは魔女』(1964〜1972)などアメリカのシットコムを挙げている。
「毎回、事件があって、それは解決するんだけど、それで誰かが成長することはなくて、翌週はまたみんな同じというような」(「週刊SPA!」1997年7月2日号)
「 “シットコム” の約束事は “登場人物は誰も成長しない” こと。毎週、事件が起こるけど、翌週には登場人物がみんな事件を忘れててまた同じようなことで大騒ぎする。成長したらいけない」(『三谷幸喜、創作を語る』〈講談社文庫〉)
そして自身の目指す究極は「登場人物たちは、全然成長してないし、感動もしてないんだけど、見てるほうには、感動があるもの」(「週刊SPA!」)なのだという。成長がないことに対する執着は極めて強いのだった。確かに往年の代表作である舞台『12人の優しい日本人』(1990)や『オケピ!』(2000)、映画『ラヂオの時間』(1997)などではそれぞれのラストに至って事態は収拾されるけれども、登場人物たちに内面的変化はあまりないように見受けられる。
一方でテレビ『HR』(2002)は「 “登場人物が成長しない” って前提が視聴者に共感を得られな」いという結果に終わった(『三谷幸喜、創作を語る』)。
それでは、近年の作品はどうであろうか。10年以上の構想を経た映画『ステキな金縛り』(2011)は、幽霊が裁判で丁々発止するというプロットが「飛びすぎてる」ということで当初は反対に遭った。
「プロデューサー陣がすごく心配していたのが、法廷物がお客さんを呼べる題材じゃないってことと、幽霊物もそんなにヒットしないという二つのこと。二つもヒットしない要素が入っているっていうのはどうなんだ? となったんですよね。そこで、ちょっとでも馴染みやすくするために主人公は女性にして、女性弁護士の成長物語ということにしようって」(『監督だもの』〈マガジンハウス〉)
興行のためには自らの忌避するストーリーラインを導入せざるを得なかったのだった。
『記憶にございません!』は、人非人のダメ首相が記憶喪失に陥った後はいい人に生まれ変わって頑張るという展開で、全編に噛んで含めるような情況説明が徹底され、過去の作品以上に広角打法でヒット狙いであることが推察できる。終盤では気の利いた趣向があり、つまり主人公は単に変化して人間的な成長を遂げたわけではないことが明かされる。この仕掛けを凝らしたのは落ちという意味もあろうが、可能な限り成長ドラマにはしたくないという抵抗ではなかろうか。ただし『記憶』の感想にはダメな主人公が成長する姿を描いている、というものがやはり散見された。
多くの日本人が政治への醒めた失望を抱える中で、首相が成長して外交や内政で活躍し、崩壊した家庭までも再生させるさまを描いた『記憶』は一般に「これぞ理想だ」などと好評を博した。だが明るいほどに、底に流れる悲哀がくっきり見えてくるということもある。言わば俗情との結託によって能天気な映画を制作するしかない、ほろ苦い諦念が是枝裕和に対する発言につながったのでは…と想像してしまうのだった。