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本多勝一と文藝春秋・殿岡昭郎『体験的本多勝一論 本多ルポルタージュ破産の証明』(2)

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あの本多記者はどこに行ってしまったのだろうか。アラスカとニューギニアにつづいてベトナムでも本多記者は「足で書く」記者であったはずである。もちろん『戦場の村』の内容や方法についても批判は多い。しかし本多氏は現場に行って事実を確かめたうえで「自分はこう思う」と自己を守ることができた。しかしグエン・バン・チュー政権への抗議は美化しても、共産ベトナムへの抗議は評価しないというなら、また取材の自由がないところでは確かめようがないから何でも書くことができると考えているのであれば、これは報道記者としての堕落である。いま本多記者を「ハノイのスピーカー」と呼ぶ人がいるのも非難ばかりはできない。

(中略)

 私は本多氏が記者としての性根をすえて真実を探求しなければならないと思っている。誤りは人のつねといっても、誤るにも誤りかたがあるというもので、十二人の殉教を “セックス・スキャンダル” と鸚鵡返しに本に書いたというのでは言訳はできまい。本多記者は筆を折るべきである」(「諸君!」1981年5月号)

 

 殿岡昭郎は「主体を改竄」などしていない。「全て伝聞で書いている」姿勢や「鸚鵡返し」を非難しているのであり「大改竄」などとは言い難い。「筆を折るべき」は言いすぎではあるがその点を差し引いても、本多勝一の主張には無理があった。

 本多は「諸君!」に反論の掲載を要求するも拒絶され、文藝春秋と殿岡を提訴するに至った。

 

訂正なり反論掲載なりをやったんであれば、それはそれで終わるのです。ところがさっき渡辺さんが言ったように全部拒否した。三年間に渡って拒否し続けた。私にとってはこの方がもっと重大です。だから仕方なく提訴せざるを得なかった」(『貧困なる精神 C集』〈朝日新聞社〉) 

 やはり一見、本多の主張のほうに正当性がありそうに思えるのだが『体験的本多勝一論』(日新報道)によれば、反論の体をなしていないものであったゆえ、相手にされなかったのだという。そのひとつは「諸君」の読者欄に送った投稿だった。

 

本多氏が法廷に甲号証として提出した葉書のコピーを見ると、内容とともに、その字面にも驚かされる。

 欄外に、「「読者諸君」用原稿」と自筆で書き付けた葉書には、幾つもの黒く塗り潰した抹消、訂正、書き込みがあり、まさにナマの原稿で、本多氏の錯乱状態が正直に表現されている。しかし、仮にも雑誌社に掲載を求めて送る原稿である。文藝春秋社、ことに雑誌「諸君!」との間には険悪な過去があったわけだから、もう少しきれいな原稿を送るのが常識だろう。その上、「噴飯モノ」「刑事事件にもなりうる」「呆れはてたしろもの」と私の文章をきめつける以外には、具体的内容を伴った反論はない。」(『体験的本多勝一論』)

 

 本多は殿岡の勤務先の大学などにも、こんな人物を雇ってよいのかなどと述べた質問状を送りつけていたという。

 「諸君!」に殿岡の原稿を掲載したのは編集長だった村田耕二だけれども、反論の掲載を拒否したのは編集長を引き継いだ堤堯である。堤は、ティエン・ハオ師は僧侶に過ぎないのにサイゴン当局の発表であるかのように記した本多の記事を「ミスリード」だと批判した上で、自分は反論を一律に拒絶しているわけではなく、編集者として過去には反論を多々掲載してきたと陳述する。

 

堤「…とにかく、裁判長、最後に一つだけ言わしてください」

 裁判長「何か言いたいことあるんですか」

 堤「仮に殿岡さんが朝日新聞社長および重役会への公開質問状という、そういうタイトルで、本多勝一なる記者をお前のところ雇っているけれども、こういうでたらめな記者を雇っていいのかと、やめさせろと、(本多氏の反論文の内容は)こういう趣旨ですからね、これは、そういう趣旨のものを、もし殿岡さんが私どもに持ってきたら、恐らく、村田も載せなかったろうし、私も載せませんよ」

 最後に笑う者がもっともよく笑う、という。堤氏の速記録はこの言葉で完全に終わっている。堤氏の論理が最後に法廷を支配したということだった。」(『体験的本多勝一論』)

 

 17年つづいた裁判は、本多の敗訴に終わった。

 若いときは本多勝一のようなジャーナリスティックに盛り上げる文章というのにはまることがあり、筆者も例外ではなかった。別に殿岡昭郎や文春の主張すべてに納得するわけではないし、また本多の業績がすべて否定されるということでもないが……強烈なカリスマに見えても所詮はわれわれと同じ欠点だらけの人間に過ぎない。この顛末を読み直して虚しさと嗤いがこみ上げてくる一方で、諸々こんなものかと安堵しないでもないのだった。

 

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