「あの本多記者はどこに行ってしまったのだろうか。アラスカとニューギニアにつづいてベトナムでも本多記者は「足で書く」記者であったはずである。もちろん『戦場の村』の内容や方法についても批判は多い。しかし本多氏は現場に行って事実を確かめたうえで…
かつて朝日新聞記者(当時)の本多勝一と文藝春秋とが裁判で争った。本多は1964年に文春の主宰する菊池寛賞を受賞しており、当初の関係は良好であったが、月刊誌「諸君!」1981年5月号に本多批判が掲載されるなど両者の対立は深まっていく。やがて本多は文春…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。