『コラムは笑う』(ちくま文庫)や『時代観察者の冒険』(新潮文庫)などの著作で知られる作家・小林信彦。5月に代表作『日本の喜劇人』が決定版(新潮社)として刊行、渋谷では小林氏の選によるコメディ映画特集が開催されている。映画『人も歩けば』(1960)の上映前に小林氏のビデオメッセージも流れた。
小林氏は2017年に脳梗塞で倒れて以後、左手が不自由になっていて、その経緯は『生還』(文藝春秋)に詳しい。だが今回のビデオ映像では顔色もよく、お元気そうだった(以下のレポはメモと怪しい記憶によるもので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
(植木等さんが出てきたころ)ぼくはちょうど失業してて2週間に1回くらい、新宿に見に行った。コーヒーは80円くらいだったかな。舞台は2階と1階の間くらい。みんなバラバラ出てきて、植木さんはいちばん最後でふてぶてしいんですよ。訊いたら「私はトイレが近いんだ」と。めいっぱいがまんして最後に出るって、真面目な顔して言ってました。不思議な人。
森繁(森繁久彌)さんの『如何なる星の下に』(1962)に出ているんですが、暗い話。植木さんは面白くなくて、さすが森繁という。でも『ニッポン無責任時代』(1962)でがらっと変わって。東宝の会議に出て来る変な男がいてそれをモデルにしたらしいんですが、後に飛行機でハイジャックをしてつかまったそうです。(この企画は)他の有名なコメディアンのために準備されてたのに、植木さんのところに行っちゃったんですね。
東宝のお姐ちゃんシリーズというのがあって人気がなくなってきて、ひとり元気なのを入れようと。監督の古澤(古澤憲吾)さんがパレンバンの落下傘部隊にいて、それでパレさん。日本軍は石油がないからパレンバンを占領しようとして、そのときに行った人。クレージーキャッツの映画は、彼がやらないとダメなんです。
『大冒険』(1965)はクレージーの10周年で会合があって。私もいたんですが、ハナ肇さんが笑って「植木屋で『大冒険』なら当たるだろ」と(笑)。それで当たったんですね。同じ古澤監督で、円谷(円谷英二)さんも噛んでる。試写で見たけど(『大冒険』のヒロイン役で)お姐ちゃんシリーズで人気のあった団令子が「石か何かの破片が目に入った」とか言ってましたね。
植木さんの映画は古澤さんでないとダメですね。(『アワモリ君西へ行く』〈1961〉では)坂本九とジェリー藤尾が、いきなり唄うんですね。よその家に入っていきなり唄うって、びっくりしますよね。この監督のやり方で、植木さんも坂本九と同じやり方で成城の街でいきなり唄う。植木さんは「渥美さんの『拝啓天皇陛下様』(1963)は芸術です。私がやっていることはいい加減だ」って言うんです(笑)。いまになって見るとダメではない。
この監督は由利徹が好きなんです。「ここのところは由利徹が出ないとできません」と。1日でも来ると30万で、そのときとしては高い。来る日に「きょうは由利徹が来るぞ」と叫ぶらしい。植木さんが「きょうは監督、張り切ってますよ」って。植木さんの映画だけど、ここってところには由利徹が出てくる。
大阪で藤山寛美さんが「東京からひとり呼ぶとしたら由利徹を呼びたい」と。怒った後の淋しい感じがいいそうです。由利徹はおかしな人で、みんなが好きになる。
森繁さんは『三等重役』シリーズでの怪しげな重役がよかった。最初、森繁さんは平で社長は河村黎吉さんがやっていましたけど(『三等重役』〈1952〉)2本やったら河村さんはすごく痩せていて、亡くなっちゃいました。それで森繁さんが社長になって、他の人も階級が上がる。小林桂樹や三木のり平が出てくる。上役がそばを食べると周りははさみで切るとか、そういう幼稚なギャグもやっていました。
『ろくでなし稼業』(1961)は、ろくでなしのふたりが宍戸錠と二谷英明。雑誌の特集をやってみようと、宍戸さんに会いに行った。日活のセットで撮っているのを見ていたら、ちょうどその日、赤木圭一郎がぶつかって事故を起こした。『紅の拳銃』(1961)が最後の映画でヒットしましたけど、これから赤木圭一郎のシリーズができるというその前に死んじゃったんですね。
『東京の暴れん坊』(1960)というのは面白い。初めから全編、小林旭の唄なんですね。あの人も本当は喜劇の人なんですね。いい映画で、新聞に『ニッポン無責任時代』と『東京の暴れん坊』を絶対見てくれとしつこく書いたんですが、誰も…(笑)。『ニッポン無責任時代』は大ヒットしてクレージーの映画がつくられるようになったんですが。まあ旭は売れましたけどね。
そういうことでよろしくお願いします。