私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

中堀正夫 × 北浦嗣巳 × 碓井広義 × 後藤勝彦 × 油谷岩夫 トークショー レポート・『波の盆』(2)

【『波の盆』の立ち上げ (2)】

油谷「中堀さんは忘れてるかもしれませんが、他の監督の仕事を受けるかってときに、ぼくのいた会社(パビック)で実相寺監督が『オーケストラがやって来た』(1983)の編集をしてて、そこへ中堀さんが来て、その帰りに赤坂の宮川って鰻屋に3人で行ったんですよ。鰻を待ってる間に実相寺監督が中堀さんを「お前その仕事を受けるのか」って延々ねちねちと詰めるっていうんですか(一同笑)。ぼくはパビックっていう技術会社のデスクみたいなことをやってて、その鰻の食事代はパビックの経費で出したんだけど、人の会社の経費で自分のところのスタッフを詰めるという…。ひどかったよね(一同笑)」

中堀「あんまりよく覚えてない」

油谷「忘れたほうがいい(笑)」

北浦「たまたまコダイで中堀さんと実相寺さんがふたりでずっと話してて牛場(牛場賢二)さんと「ここにいちゃまずいな」って逃げた記憶があります(笑)。結構長い間ふたりで話してましたよね。何となく説教されてるような感じで、こんなこともあるんだと」

中堀「実相寺監督のやり方はとことんもう判って来ていたから、『蜜月』(1983)では(実相寺作品で使っていた)ワイドレンズは絶対使わないと。監督の作品みたいな画は撮らない。18ミリのレンズは持っていくけど使わない。お金のないATG映画だったんで、セットもない。レンズ6本だけ、ズームレンズは望遠レンズ用にだけ持ってて基本は使わない。だけど3カットだけどうしても18ミリのレンズを使わないといけなくて、それでも(実相寺作品のような)斜めの映像には絶対しないぞと(一同笑)。お金がなくてカラーなんだけどラッシュはモノクロで起こしたんですよ。ラッシュ見てみんなに「暗い」「暗い」って言われたけど、監督の作品で暗い画面のことはいろいろ教わってるし、今回おれは自信を持って(ラッシュの段階で暗くても完成したら)暗くないって。出来上がったらちゃんとなってて、自分はもし監督に干されても何とかやっていけると思えたくらい撮れてた作品で気に入ってるんですよね。監督が見てくれたかは判らないけど…見てねえだろうな」

【『波の盆』のカメラ (1)】

 『波の盆』(1983)の撮影はハワイ・マウイ島で行われた。

 

中堀「そういうことがあったんで『波の盆』は50ミリレンズで撮りたい。全部50でって思ってたくらいだから。初日はロングのフルショットで、ハワイの防波堤みたいなところで釣りする。1インチで回してるんで、レコーダーは50メートル奥にある。だから現場にはおれとフォーカスの人しかいない。できるだけ後ろまで下がって50ミリでフルショットを撮ったんですよ。監督が見たら「お前、何撮ってんだ」「ワイド(レンズ)で撮れ」。またワイドかよ(一同笑)。このときのカメラは池上(池上製作所)のEC-35で、そのレンズが5本しかなかったんですよね。ズームも入れると6本。なるべくそのワイドを使わないようにして、50ミリの普通のサイズで出したら監督に「違う!」って言われて。それでワイドのレンズを使うと、笠さんが遠くて見えなくて(笑)カメラが前に出てったんですよ。そんなところから始まった」

北浦「ラハイナの突堤があって、そこで釣りのシーンを撮ったんですけど。実相寺組はだいたい午前10時開始。中堀さんも演出部もみんな準備してて、コンテにはカメラは引きって書いてあるのに、中堀さんはわりと前に行って「あれ? どうしたんだろう」。それで「いいのかな。引きですよね」って確認しました。そこへ実相寺さんが来て「バカ野郎!」。それで中堀さんが「判りました」と(笑)。よく覚えています」

中堀「その次は葬列のシーンで丘を登ってく道。カメラは1台しかないんで、同じところでカメラアングルを変えて撮る。でもこの丘ばっかり登るんじゃ面白くねえな。カメラを斜めにしないって言ったけど斜めにしますって監督に言って、登りの道を下りみたいにカメラを傾けて。このカメラがビデオカメラなのにコントラストが動かせる。パビックの小野(映像の小野繁)さんも大胆不敵な人だから、坂を登るシーンでは思い切ってコントラスを強くつけてる」

 

 EC-35を取り入れた後藤勝彦氏がいらしていて発言された。後藤氏はパビックの代表を務めておられ、実相寺監督のエッセイ『夜ごとの円盤』(大和書房)でも「逡巡をうち破ってくれたのは、パビックの後藤くんだ」「『波の盆』をひき受ける、ひとつのバネになった」と触れられている。先述の通り、油谷氏もパビックに在籍されていた。

 

油谷「後藤さんは当時の私の上司で、スタッフロールに私の名前が技術プロデューサーと載っているんですが大変おこがましいことで、本来は後藤さんが載るべきなんですね。実相寺監督が後藤さんと話して、このカメラを使ったらどうかということで」

後藤「実相寺監督は、私がTBSに入社したときの1年先輩でございまして。当時はラジオ東京といいましたが、1年先輩だと天皇陛下なんです(笑)。1期上だと何も言えない。監督はぼくのことを「ごち」「ごち」って。ぼくがつくった会社にも「おれが株主だ」って入ってきました。

 池上で新しいハンディカメラが出たってことで、見に行ったら(開発者に)「実はハリウッドに頼まれたんだ」「ビスタビジョンでやりたいんだけどどうだろうか。見てくれ」って言われて。すごくいいんですよね。小野くんも「ほしい!」って(笑)。レンズも入れて、当時のお金で3000万くらい。最初はレンズを買う予定はなかったんですけど、会社でテストしてたら監督が現れて「これ何だ」「新しいカメラです」「ちょっと待て」。中堀さんもいらっしゃって「これいいじゃん」。監督はレンズを「それも買え!」。株主ですからね(一同笑)。「テストをまだ1回もしてないんです」って言っても「お前がな、使えないものを買うわけないだろ」。抵抗も何もできなくて。すぐカメラの入れ替えで、通関手続きをしないといけなくて、書き換えて。そういうことでカメラを買わされた(笑)」(つづく