
テレビ『おそ松くん』(1966)や『パーマン』(1967)などさまざまなアニメ作品を手がけるアニメーター・演出家の鈴木伸一。2023年に鈴木氏のエッセイ『アニメと漫画と楽しい仲間』(玄光社)が刊行され、同年10月に御茶ノ水でトークイベントもあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【おとぎプロの時代】
鈴木氏はマンガ家たちの集ったトキワ荘に居住し、藤子・F・不二雄や藤子不二雄A、石ノ森章太郎などとも親しかった。1956年、マンガ家・横山隆一の主宰するおとぎプロに入社。キャリアの早い時期に参加した短編「ふくすけ」(1957)は賞を取った。鈴木氏はひとりだけ授賞式に参加したという。
鈴木「(自分の作品に)面白いのはないよ(一同笑)。
ぼくは「ふくすけ」はわりと好きなんですよ。おとぎプロに入って最初にやったのが『ふくすけ』。靴にヒモをつけて水の中をじゃぶんじゃぶんと歩くとか結構難しかった。そこを横山先生は気に入ってくれて。頭の重たいカエルで、でも薬を飲んで軽くなる。鬼につかまって、蜘蛛に結びつけられる。夜から朝が来るけど、横山先生は「ふわっと光が当たったらどうなる?」。ぼくはそのころオーバーラップを知らなくて、エアブラシで少しずつ朝日が当たるのを何枚も描いて。実に上手くいって。勉強になりました。
日比谷のビルの高いところで式があったんですよ。映画記者たちが選ぶ賞じゃなかったかな。賞のあれは横山泰三さん(隆一氏の実弟)のヌードのブロンズだった。何だ弟さんのものもらって、なんて思ったけど(笑)。東宝の重役さんや俳優さんもいて、その中に飛びぬけて大男がいてよく見たらジョン・ウェイン。どれくらい大きいかと横に行ったくらい。日本で撮影してたわけ。式に呼んだんでしょうね。手を叩いてるジョン・ウェインをビデオで撮って。正月にいつもパーティーをやるんだけど「おとぎニュース」ってのをつくって、撮ったのをそこで上映した。横山先生は西部劇の大ファンでジョン・ウェインのファン。だからぼくは後で横山先生にお渡ししたら喜んでたけど、いまはフィルムが行方不明。作品は高知の横山隆一記念館に持ってったんで、そこにあるかもしれないからさがしてくれって言ったけどないそうですよ。横山先生は物がありすぎるんだけどね。
そう言えばその式のとき、消防車がいっぱいウーウーと。東宝のミュージカルの劇場が燃えてるんですよ。ぼくらのビルの裏側で、人がどんどん降りて慌てて逃げて行く。ぼくはこりゃ面白いと思ってビデオに撮ったんですよ。それも「おとぎニュース」に(一同笑)」
短編「プラス50000年」(1961)では演出を手がけた。
鈴木「おとぎプロで何をつくろうかという話になって、なんかちょっと読んだ中に鯨の話があったんですよ。鯨に足があって、退化しても骨が残ってる。それが面白いと思って、横山先生にその話をして。昔、鯨が陸を歩いていたみたいですよって。進化論みたいな形でやってみようかという話になって「プラス50000年」をつくったわけ。つまんなかったよ(一同笑)。横山先生がどっか映画祭だか知らんけど出したらしいんだよ。落ちたけど(一同笑)。その話を辞めるときに聞いて。先生は言ってくれないんだよ」
テレビ『インスタントヒストリー』(1961)は1日1分ずつ、過去にその日のできごとを紹介するアニメ。
鈴木「きょうはどんなことが起こった日でしょうかと。横山先生が毎日新聞社でその日の出来事を調べて来るわけ。ひとりが1週間かけて1分つくる。全部で6、7人のスタッフがいたんですよ。1年間それで回った。上野彦馬が日本で最初の写真家で、この5月22日は何だったかな。亡くなった日か。
でも面白かったよ。スタイルもお任せになって、絵本みたいにやる人もいれば切り紙でやる人、セルでやる人もある。好き勝手にやって、アニメーションにはいろいろテクニックがあると判って、勉強になったんじゃないかな。
だけど視聴率が取れなかったんだよ。大体1分だから視聴率なんててあるのかないのか(笑)。随分安かったんじゃないかな。商売にならないよね。横山先生も商売は上手じゃないよね(一同笑)。遊びたいというか。税務署から来た紙切れを映画の中に使っちゃったり(笑)」(つづく)

