私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山際永三 トークショー レポート・『男が血を見た時』(1)

 車を乗り回す10代の青年たち。そのグループに偶然合流した主人公(松原緑郎)は、令嬢(三ツ矢歌子)をめぐってリーダー(浅見比呂志)と三角関係に発展する。

 新東宝制作の『男が血を見た時』(1960)は当時の太陽族などを彷彿とさせる青春映画の小品で『コメットさん』(1967)や『帰ってきたウルトラマン』(1971)などの山際永三が助監督を務める。2023年10月にリバイバル上映と山際氏のトークが行われた。聞き手は『異端の映画史 新東宝の世界』(洋泉社)の下村健氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

【『男が血を見た時』の想い出】

山際「きょうの『男が血を見た時』では、ぼくはサードじゃなくてセカンドの助監督でしたか。ぼくもね、明確な記憶はないんですけど(入社して)2、3年経っているからセカンドだったかもしれませんが。新東宝東宝系ですから、東宝の助監督のやり方を真似してましてね。チーフは古い人で、セカンドとサードがごちゃごちゃになってた時代もありました。

 柴田吉太郎さんがチーフ(助監督)です。柴田さんは三輪(三輪彰)さんなんかと同じで、新東宝ができたときからの助監督です」

 

 後に柴田監督のデビュー作では、山際氏は監督デビュー済みだったが助監督を担当。

 

山際「小さい会社ですから、ぼくがやりました」

 

 監督は三輪彰氏。

 

山際「新東宝で助監督は30人ぐらいいて、その中で話が合うのは三輪さんだったんですよ。石井(石井輝男)さんも先輩で三輪さんの同期です。石井・三輪が先輩でいろいろ教わったり、ホン直しで呼ばれたり。

 セカンド、サードの助監督には委員がいて、チーフの助監督は監督が決めてセカンドとサードは委員が決める。ダビングしていてもやめさせてこっちへ来いとか、委員の間で交渉してました。ぼくらも、あの監督は嫌いだから、撮影だけつき合えばいいだろ、とか交渉して認められたり。三輪さんは真面目だけにわがままもあって、助監督の付き手がいない。ぼくははいはいと言ってやるもので、気に入られたんですね。

 撮影に入る前からホン直しと称して、成城にあった新東宝の寮に何人かで1週間ぐらいいて、寝泊まりしながら直しました。このシーンはこういう主旨で、こういう書き方でみたいな話になって、200字詰めの原稿用紙で10枚ぐらい書くでしょ。そうしたら翌日にこりゃダメだって、また書き直し(笑)。台本を書くことの勉強にはなりましたね。

 島村達芳さんがプロデューサーで、みんな「達芳さん」「達芳さん」と呼んでましたけど、温厚な人でした。

 (撮影では)ぼくはオートバイの管理とオートバイに役者を乗せて走らせるという役割でした。役者たちの中には免許持ってない人もいて、撮影所の中でちょっと練習してもらったり。実際のカミナリ族と呼ばれる人たちも協力してくれて、10人ぐらいのグループで、吹き替えもやってくれたんですけど、ぼくはそういう人たちをまとめるとか。オートバイをいろいろなところから借りるとかもぼくの役目でやたら忙しかったです。画面を見ると、どのオートバイがどこの会社か判らないですけど。ぼくは、免許は持ってました。オートバイは120ccで大型のものではないけど、すぐ故障しちゃう。直してからやるとか、そういうこともありました。

 この作品と(自作の)『狂熱の果て』(1961)とはいろんなところが似てますね。ただ(『男が血を見た時』の劇中のグループは『狂熱』と違って)大したことはやってない(笑)。実際のカミナリ族の人たちってのもそういう感じで、どっか集まって騒ぐのが目的だから、あんまり悪いことはしない。せいぜい交通法規に従わないくらいで、そういう真面目な人が多かったですよ。いろいろ教えてくれて、事故で転んだり怪我したり死んだりは覚悟してやってんだと言ってて、腹の座った連中で、ぼくは感心してそういうことですかと(笑)。いろんなグループがあって、抗争はあったらしいですけど」

 劇中歌「悪魔のキス」は石井監督『女体渦巻島』(1960)でも歌われている。

 

山際「もう使い回しはみんなやっててひどいものです(笑)。石井さんの作品もこの『男が血を見た時』もぼくのデビュー作もみんな似てますね、雰囲気がね。出てる役者も(自社の俳優ばかりで)同じですし。(予算が苦しくて)他社のスターを呼んだ人はいませんね。

 (リーダー役の浅見比呂志氏は)ニューフェイスで入ったのかもしれませんけど、新東宝の大部屋で通行人などもやってた人ですけど、真面目な人で三輪さんのお気に入りでした。三輪さんも真面目な人なんですよ。

 藤川弘志は大島渚監督のデビュー作『愛と希望の街』(1959)に準主演している。

 

山際「ぼくは忘れちゃいましたね。ただストーリーの上では主役は浅見さんです。ただ浅見さんは真面目な人だけにスター的な要素は少ないですからね。三ツ矢さんは松原さんと他でも何回かコンビでしたね。そういう意味では当時の新東宝らしい組み方。例の沼田曜一さんとか(笑)。

 鳴門洋二さんはかわいそうに、ぶん殴られてばかり。ぼくの作品でも殴られてましたね(笑)。彼はほんとに悪役が上手いよね」(つづく

愛と希望の街

愛と希望の街

  • 渡辺 文雄
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