私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

浦沢義雄 トークショー レポート(6)

【食べ物について】

 浦沢義雄作品では食べ物ねたが目立つ。『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』(1989)のナルトの入っていないラーメンは印象的。

 

浦沢「おれは、そういう意識はないんだけど子どものころ、食べ物に飢えてたんじゃないかな。そうとしか思えない(一同笑)。やたら多い。いまは飢えてないけど、昔はそういうのがあったんじゃないかな。

 おれは中華丼が好き。高校ぐらいで初めて食ってうまいなと。五目中華丼じゃない(一同笑)。ラーメンはダメ、好きじゃない。ナルトが嫌いなんだ。子どものころ、ラーメン食べてスープも飲んで、ナルトが貼ったみたいに残ってた。ほんとに嫌いなんだな(一同笑)。チャーハンにナルトが入ってると好きなんだけど、ラーメンはなあ。ラーメンの具はほとんど嫌いだった。30歳ぐらいでようやく食べられるようになった。何にも入ってないスープとラーメンがいい(一同笑)。食べに行くとチャーシューとか誰かにあげちゃう。そしてスープとラーメンに飽きちゃう(一同笑)」

【アイディアについて】

浦沢「1作1作なるべく違うことを考えようと一応するんだけど。考えていて思いつかないということを何回かするとどっかで思いつく。昔っからそういう…。子どものときから、絵を描くのが好きだった。絵を描くとき、自由題ってあって。みんな厭がるんだけど、おれは好きだった。何描いていいかわかんない。みんなが描き出したのをひと通り見るんだけど、こいつ面白いと思って、それと同じようなのを描いちゃえばいいや。そのうち自分で何かそいつと違うようなことを思いつく。それがものを考えたいちばん最初だった。思いつかないということを10回ぐらいやると11回目で絶対思いつく。思いつかないことを何回もやるしかない。萩本欽一はコントを真剣に考えて思いつく。誰も余計なことを何も喋らなくて、萩本さんが思いつくのを待ってる。初めて見たとき怖い感じだった。齋藤(齋藤太朗)さんも喋んない。おれたちは遠目で外から。パジャマ党の人も喋らないで、思いつくのを待ってる。おれはそれを家でやるようになった。

 考えるのは30秒ぐらい。思いつかなかったら気分変えて、トイレ行くでもして。それを10回ぐらいやる。思いつきだから。アイディアは蛆虫みたいなものでぐにゃぐにゃ湧き出る。感じいいものじゃない。思いつくと、そこでおれは終わり。ほんとは、思いついた後は人に書いてもらいたい。誰でもいいや、話は適当に(一同笑)。(アイディアだけを出す)ギャグマンっていうのになりたかったけど、そんな商売はない。

 若いころは結構たくさん考えることができるんだけど、歳になるとできない。回数も減ってきて、適当なとこで思いつくことができない。若いころはもっと優れてる。思いつくって若いときのもので、おれが歳とった奴を軽蔑してるのはそういうことなんだ。大したことを思いつかないなと」

 

【その他の発言】

浦沢「(自作で)いちばん好きなのは『忍者マン一平』(1982)の4話目。ホンは大傑作だと思ってすごく真面目に書いたんだけど。オンエアを見てないんだけど、人はそんなに面白くないって。他に『ルパン』の駆け出しのころに、清順(鈴木清順)さんや大和屋(大和屋竺)さんに好かれようと思って書いたのとか。『忍者マン』も『ルパン』も飯岡(飯岡順一)さんなんだ。

 東映で坂本さん(坂本太郎監督)とやったのは全部愉しかった。坂本さんとは気分が合う。チャーハンとシューマイが結婚してグリンピースを交換する。『カリキュラマシーン』(1974)でやって『ペットントン』(1983)でもやった。グリンピース交換は『カリキュラ』では5秒で『ペットントン』では30秒(一同笑)。ほんとは映画にしたいと思ってたんだけど、それはなかなか。

 『忍たま乱太郎』(1993)は毎年書いてるから、1年に1遍くらいこれいい出来だなってのがあるんだけど、すぐ忘れちゃう。『名探偵コナン』(1996)のいちばん評判の悪かった「天才レストラン」も気に入ってたんだけどね。(「レストラン」は清順作品を思わせると言われるが)意識してない、厭だもん。清順さんは売れないものの代表だから(一同笑)。死んじゃったから言うけど。純文学みたいな人だった。

 大体おれは作家の人と気が合わない。合ったのはひとりだけいて、その人とやると会議が早い。5分で終わる。おれは10分で終わりたくてすごく早いと自分で思ってたんだけど、その人は5分で「すごいわ、こいつ」。彼の番組だったらやってもいいや、と。それが井上敏樹(一同笑)。作家で感心したのはそれだけだね。井上さんとは飲む機会はたくさんあったけど、仕事ではあまり。『PAPUWA』(2003)ぐらいかな。使うほうが、そんな奴をふたりも使わないでしょ(一同笑)。ふたりいたらプロデューサーが厭がるよね、ひとりだったらいいけど。

 いまはたくさん書けない。(80年代は)発注が多かったから、どんどん書いていくしかない。それしか考えつかない。でもね、全話書いたほうがらくなんだ。おれはホンを読む癖がない。読むのが嫌いなんだ。わかんなくてホンを読んでも頭に入ってこないんだ。自分のホンも読めなくて、書きっぱなし。書いた後で読むのは人に任せる。後で読んで気になって直したりは、おれはしたことない。人から直してくださいと言われたら直す。良心的な人はさ、何度も読み返して書き直す。ああいうの大変だな」

 『おとなの漫画』(1956)で見て『カリキュラマシーン』などで協働した河野洋には影響を受けたという。

 

浦沢「洋さんは作家辞めてカナダで行っちゃう。そのときもかっこよかった。そこからはあんまりかっこよくない(一同笑)。しょうがない。その後で田村隆さんとか奥山コーシンさんとかが売れてくる。そのふたりはちょっと若くて、洋さんの影響を受けてた。

 洋さんとか儲けてみんなにご馳走してたけど、あれやったらひどいことになるなと。ちょっと(金銭感覚が)おかしくなるな。洋さんはいいときに、売れなくなった手前で辞めてカナダに行った。あのまま売れなくなったらどうするのかな。10年後くらいにカナダから戻ってきて作家に戻っても、もう売れない。でも人にご馳走したがる気分は残ってる。その後はひどい人生だったみたい。

 買い物に行くときに言われるのはメークイン(じゃがいも)を買って来てくれと。女房はメークインがいちばんおいしいと指定してくる。

 家族に(自作で)あれが面白かったとか言われたことない。子どもは見てるはずなんだけど、女房は全く。女房がなんか言うと腹立つからさ(一同笑)。

 おれ40歳ぐらいから才能なくなってんじゃないかな。昔は歳の人をみんな軽蔑してたからさ、おれもそれ以上の歳になって恥ずかしいくらい。家のローンが残ってるから仕事やってるけどさ、やめたいくらい。悲劇だね(笑)」