私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

対談 澤井信一郎 × 金子修介 “アイドル映画の撮り方”(2003)(2)

澤井「僕の場合はいじるっていう方法しかないから、こっちの方法に連れこむっていう風にしちゃうんだけども。結局ね、若い子に君の気持ちのままやりなさいとか、君の地でやりなさいって言ってもね、そんな気持ちとか地だとかいう不確かなものをね、若い子がそんな自分のセリフ回しだとか演技とかね、感情を作れるわけがないと、俺はそういう風に思ってるわけ。だから俺の言う通りやれと。この形さえできればね、気持ちなんて観る側に醸し出されるわけで、俳優が気持ちにならなくても結構だっていう極端に言えばそういう割りきり方を僕はするわけですよ」

金子「(『早春物語』〈1985〉の)原田知世なんかはあんまり器用じゃなかった?」

澤井「うん。器用じゃなかった。もうぬり絵の中にぬりこんで、ほんのちょっとでもはみ出さないようにってはみ出すと怒られるって、そういう緊張が見える(笑)。その妙な緊張感の映画っていう感じかなあ」

金子「怒るんですか? 現場で」

澤井「怒りはしないけどさ、しつこく細かくっていうね。同じセリフ言ってもね、ニュアンスが単調になっちゃうからね。例えば、「僕は君が好きだ」っていうセリフがありますね。これは下手な人がやると棒読みになる。まずね、僕がやるのはね、「僕は」で切るわけ。で、「君が」で切るわけ。「僕は/君が/好きだ」ってこう何度かやらせるわけ。すると、「僕は君が好きだ」って棒読みよりはね、少なくともリズムができるわけ。それを何回かやると少なくともさっきの棒読みよりはいいなと思うと「僕は/君が好きだ」「僕は君が/好きだ」って、とにかく、切ったり貼ったりしながらやらせて、俺の生理のリズムに合うなというのを発見していってね、その通りやらせるわけです。形から入るなんていうけども、形こそが大事でね、形がきちんとできれば気持ちなんて不確かなものよりは形っていう整理された物の方が観る者にある種の感情を醸し出すっていうことを思いこんじゃってるからね」

アイドル映画観客論

澤井「『仔犬ダンの物語』なんか小学生が主演でね、昨日までは素人なわけじゃない。オーディションで全国から集まって来る中でキャストが決まるのが3週間くらい前だよ、クランクインのね。やっとアイドルたちが合格して脚本できて、この子をどれにしようかっていう、読み合わせからやるじゃない。で、これは多少セリフがいけるからこの役にってなるわけだよね。でも発声ができてないわけだから初日から発声練習を、高い音とか滑舌とかさ。先生を一人雇ってさ、もう徹底的にやるわけ」

金子「あの主役の子は11歳? なんかあのかわいいけど緊張してるなって(笑)」

澤井「押しつけられてるからね(笑)」

高原「澤井さんはターゲットとして観る側のことは考えたりするんですか?」

澤井「観るターゲット? 観客の? 『仔犬ダン』だってターゲット定めるとしても、対子供を思ったことはない。全部大人」

高原「変な言い方するとそういう姿勢で撮っても大人は観ないじゃないですか」

澤井「観ようが観まいが関係ない。観た人にどういう風に思わせるかっていうことだから」

金子「僕は生を活かそうとか結構思うんですけど」

澤井「生を活かすというのはどういうこと?」

金子「あの仕草はかわいいとか、ふとしたときに見せる表情がかわいいとか、そういうのを頂いちゃおうみたいな」

澤井「演じてるキャラクターとは違うものと思わないの?」

金子「コンテを崩してでも、かわいいときや綺麗なときのほうが重要だと思うときがあるんですよ。でも、最近ちょっと反省していることがあって、『初恋のきた道』を観たときに、形態はこれ、完全にアイドル映画なんですけど、まさにもう演技の訓練を重ねてる存在の映画女優としてチャン・ツィイーがアイドルのような存在として光ってるという、こういう存在がいないから我々は地を活かしたりするっていう演出方法をしてきたんだなって。ナチュラルといわれる演技がいいんだっていうことで、演技の訓練を怠ってる存在がどんどん増えてるんじゃないかと、その責任の一端は自分にもあると、そういうことをいろいろ考えるようになって。そういう意味では『初恋のきた道』は結構ショックだったんですけど」

澤井「何にもないんだから。そういう基礎が必要だなんてプロダクションは思わないだろうし、本人も思わないだろうし。だからアイドルになっちゃうんだろうけども。俳優としての鍛錬とか、歌なり芝居なりの基礎ができてないわけだからねえ」

金子「まったくの新人を僕も何回かやってるんですけども、新人って1本撮ったあとに変わる感じがして、その映画の中でいくらやっても変わらなくて、次の映画のときにちょっと良くなってて、くやしい思いをするっていう(笑)」

澤井「1本まるごと新人俳優でも主演なり、重要な役でやり通してみると、その呼吸っていうかさ、そういうのがわかってうまくなるよね。うまくなる子は「おっ」って思うほどうまくなるよね。でもそれは2本目やる人の成績になってさ、1本目やる人の成績にはならないけども」

金子「よくあるんですよね(笑)」

澤井「アイドル映画に戻れば、ターゲットは大人っていうかさ、『仔犬ダン』にしても、その「親の都合にあなたたち子供をまきこんでごめんね」っていうセリフを原田美枝子が演じる母親が娘に対して言うんだけれども、そんなセリフわかんないよって、普段子供にそういう難しい話はしないよっていう風に言われるんだけども、子供だって感じとしては大人並に感じてて、そのセリフはおかしいと思わないんだからいいんだってね。「犬好きのあなたが血統が悪いからってかわいくないなんて、あなたが一番よく知ってるんじゃないの」って主役の小学5年生に言わせるわけ。で、これは最近の高校生でも言わないよって言う人もいるんだけど、言い方はともかくとして子供に大人の論理を付与するというか、子供に対して親の発言が、要するに大人を相手にするような発言をするという風なね、そういう作り方っていうのかな。だから俺なんかは、アイドル映画っていうか年端のいかない子供の映画をやるときはね、大人の論理をきちっと言わせてわからせるっていうね、本人はわかってなくても、わかったってことになるからね。だから、やっぱり日本の映画はそういうツメが甘いっていうか、幼児に対して、幼児の視線で話をするっていうか」

金子「日本語とか、日本の教育とかそういう問題も含まれてますよね。日本語自体が曖昧なものが多いっていうか」

澤井「だから大人のセリフでも、あるいは子供のセリフでも、主語と最後の言葉を省かないようにしてあげなくちゃいけない。「だってー」じゃなくて「だって私はそうは思いませんよ」って、はっきりそういう風にね。道徳的に教育的な映画を作れってわけじゃないけども、大人の態度になって、子供の視線じゃなくて大人の視線で子供を引きずりまわしていくっていうのかな」つづく

 以上、日本映画監督協会のサイトより引用。