私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山際永三 トークショー レポート・『男が血を見た時』『たそがれ酒場』(2)

【三輪彰監督の想い出】

山際「(『男が血を見た時』〈1960〉を)見てて三輪さんは、撮り方は複雑にやってましたね。セットはペコペコのベニヤ板でしょ。セットの豪華さを狙っちゃいけない。どうせいい加減なんだから、それを誤魔化しながら人間をバストで撮ってパンしたり。大ロングはできないけど、ああいうカメラの動きは三輪さんも計算してやって感心しますね。

 きょう気がついたんですけど彼の顔に虫がついているシーン。あんなのはホンにないわけで、三輪さんの趣味なんですよ。前の日に大きい虫を捕まえてきてくれと。一種の思いつきですね。三輪さんらしい表現(笑)。

 大蔵社長がいなくなった後の『胎動期 私たちは天使じゃない』(1961)は看護婦のストライキの話なんですけど、松竹の石濱朗が客演で来て、看護婦の恋人で四畳半に下宿していて肺病かなんかで死んでしまう。死んじゃった後に、布団の上にひよこが10羽ぐらいぴこぴこ動く。ある種の象徴的な意味で、前の日に「ひよこを集めろ」って言い出して、また始まったよ(笑)。でも素晴らしいシーンでした。前の日の発想が何回かありました。ぼくは文句を言わずに、その発想を実現するために努力しました。助監督や小道具さんが必死にいろんなところに電話してひよこを集めたり、全く人騒がせな。そういう思いつきは素晴らしかったですね。(脚本の)新藤兼人さんは真面目に普通のドラマを書く人でしたから、そういうひよことかは三輪さんの才能ですね。

 (『男が血を』では)浅見(浅見比呂志)さんっていう真面目な役者に三輪さんが惚れ込んでね、彼を主役に持ってった。一方、グループの中の次郎に妹がいて、お母さんが窃盗で警察に捕まっちゃう。あの話をもっと膨らませたかったらしいですね。何遍もホンを書き直されて、お母さんが何故に窃盗せざるを得なかったかをいろいろ書いてあったはずなんだけど、最終的にはあまり上手く実現できてなかったですね。添え物になっちゃってて、そういう子もいるかっていう程度。三輪さんはもうちょっと膨らませたかったらしいですね。

 三輪さんは戦争が終わって3~4年後の東宝ストで新東宝ができたころのチーフ助監督で、話は何かっていうと中国戦線のこと。中国で負けて、ただ歩き回って逃げ回ってたって。田舎でお腹が空いてどうしようもないんで、畑の中にご飯を保存用に干してあるので、それを盗んで食べていたら農民のおばさんに見つかって怒られた。「だけどそのおばさんがご飯をちゃんと包んでくれたんだ、それがおれの出発点だ」みたいな話。すぐその話になって、もう何遍も聞きましたよ(笑)。そういう戦争体験があった人なんですね。

 五所平之助さんについて、戦後第一期の作家と言われた椎名麟三さん、三輪さん、8プロで監督もやった長谷部(長谷部慶次)さんで集まってホン直しをしたと。五所さんはごく普通というか日本映画らしい監督ですけど、内山(内山義重)さんというプロデューサーの方が五所さんと椎名さんをくっつけたそうです。椎名麟三作品ので五所さんや長谷部さんが監督なのは何本かありますね。その配給を新東宝がやった。三輪さんは五所さんの『煙突の見える場所』(1953)のホン直しをしたのがいい経験だったと言われていて、だから五所さんの影響を受けてるんですね」

【新東宝入社と『たそがれ酒場』 (1)】

 山際氏は慶應大学文学部卒業後、新東宝に入社。

 

山際「松竹には木下(木下惠介)さんとか大庭(大庭秀雄)さんとかぼくの好きな監督がいたもので狙ってたんですが、その年は助監督を採らないという話になって、でも秋ごろに採って大島(大島渚)さんなんかは秋に入ってます。だからぼくを紹介してくれた人は山際は松竹向きじゃないと思われたのかもしれません。いまになってそう思います(笑)。

 新東宝で助監督を募集していて、試験を受けたわけです。内川清一郎っていう監督が紹介してくれて「新東宝はいい会社だ」って言ってて、小津(小津安二郎)さんも内川さんの紹介で新東宝で1本撮っていますね。入ってみたらとんでもない、どうも気に入らないんですけど(笑)。入ったころと大蔵(大蔵貢)社長のころとではがらっと変わっちゃいましたからね。

 入ったときは渡辺(渡辺邦男)組とか阿部(阿部豊)組とかこき使われるばかりで名前も覚えてくれない(笑)」

 

 巨匠・内田吐夢監督の『たそがれ酒場』(1955)にも助監督として参加した。

 

山際「2本目か3本目についたのが『たそがれ酒場』で、内田さんに「山際くん、あんたも意見があったら言ってくださいよ」なんて言われて天にも昇る喜びでした(笑)。

 内田さんのでは『血槍富士』(1955)は見ました。日活でも撮っていて、内田さんは東映に日活に新東宝に引っ張りだこでしたね。『血槍富士』はいい作品で勢いもあって、立ち回りも素晴らしかったです」(つづく