最近は『ベイビーブローカー』(2022)や『怪物』(2023)などで知られる是枝裕和監督。是枝氏は20代のころに、長野県にある伊那小学校春組に2年半通ってドキュメンタリー『もう一つの教育 伊那小学校春組の記録』(1991)を撮った。
伊那小学校では牛など動物を借り受けて育て、その動物を中心に国語や算数などのカリキュラムを組み立てていた。公立の小学校としては極めてユニークな試みと言えよう。2023年2月に『もう一つの教育』のリバイバル上映が行われ、是枝氏のトークもあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【取り組んだきっかけ】
是枝「(伊那小学校春組を)知ったのは『ニュースステーション』、久米(久米宏)さんの。ぼくが大学の最終年だったぐらいかな。何回かに分けて放送していた。いろんな偶然が重なって…。テレビマンユニオンに入って1年経って、心を痛めて(笑)。揉めて行かなくなっちゃった。4月から6月まで勝手に休んで、その時期に家でぶらぶらしていたときに中学の同級生と会って小松恒夫さんの『百姓入門記』(朝日文庫)を薦められたの。読んだら小松さんは「週刊朝日」の編集長で、倒れられて家の周りを歩いて。それまでずっと声高に書いていた教育問題とか環境とかをもう少し身の周りから考え直すみたいな、そういうエッセイ集。その中に伊那小の話が出てきて、久米さんの番組で取り上げた学校だなと。それで休んでいる間に行ってみようかなと思って。もう(会社を)辞めようと思ってた気がするんだな。ぼくは大学のときに教職とっていたし。
会社はつらいじゃん(笑)。1年目とかつらくなかった? いろんなつらさがありますよね。ハラスメントの嵐だったし、自分が使い物にならないつらさもある。役に立たない自分を目の当たりにする。それまで頭でっかちにいろいろ語っていたのに、現場に入ったら全く使い物にならない自分もいて。いま思えばそれは本質的なことじゃなくて、気が利かないとか座持ちがしないとかさ。何でそんなことで思い悩んでいたんだろうなと。ただ当時の24、25歳の青年にとっては重大だったんだね。この話は早く切り上げたいんだけどさ(笑)。
ロケに行ったときにカメラのミツイシさんからも伊那小学校の話を聞いたんだよね。あ、そっちのほうが小松さんの本を読むより先だったのかな…。いちばんハラスメントを受けたのはミツイシさんからなんだよね(一同笑)。青森にロケに行ったときに「お前が来ると現場が暗くなるから来なくていい」って。それでどうしようかな、帰ってやろうかと思って公衆電話で同期の岸(岸善幸)くんに。岸くんはみんなから好かれて、ぼくと違って(笑)。後でテレビマンユニオンの社長になるんだけど、その岸に電話かけて相談したら「いやお前辞めるつもりだったら帰っていいと思うけど、もうちょっとテレビに関わりたいんだったら頑張れば?」って言われて戻った。それが入社1年目の冬だったから、何とか頑張って(1988年)3月に心が折れちゃった。そこからこの仕事を辞めるか悩んだ末に覚悟を決めたというか。
最初は(ドキュメンタリー)を撮ろうとは思ってなかった。遊びに行ったら、いまではありえないと思うけどオープンな学校で「見学に来ました」って言ったら入れてくれたんだよね。春組に入ったのも偶然で、最初に行ったときは別のクラスだったかな。2度目に行ったらそのクラスの先生が病気で休職していて、それで春組をのぞいたんだよね。『ニュースステーション』で(既に)結構な特集が組まれていたから、その続編を勝手に撮るみたいな発想はぼくにはなかったと思うんだな。何となく行ったら面白そうで、この学校に通うことでもう一度自分が撮りたいものにカメラを向けてみようと、思い直したのが秋口。1年つらい思いをして貯めたお金でビデオカメラを買って。通うためにお金が必要だから、テレビマンユニオンに頭を下げて戻った。
撮ろうと決めたときは必死で、自主制作だと思って民生機ではいちばん高いのを買ったんだよね。42万円。撮って戻ってきたら、音が録れてなかった。マイクも買いました。三脚もフィルターも買って。ちゃんと撮れるように、というので精いっぱい。パンが難しいんだよ。カメラをなるべく動かさないようにして、動いたら下手なのがばれる。動かないでフレームの外を感じさせるような画。それがよかったのかな。悪くないよね(笑)。対象のことを尊敬して撮ってるかな。何かを暴こうとか表現してやろうとか意図はなくて。基本は何とかできている。でも撮ってる時間より放課後にいっしょに遊んでる時間のほうが長かったよね。みんなカメラを覗きたがる。終わった後に「他の(取材に来た)テレビの人と違って是枝さんは仕事じゃないと思ってた」って言われて、そういうふうに見られてたんだな」
【伊那小学校春組の学習(1)】
伊那小学校春組では牛のローラを育てており、その活動を中心に学習が行われていた。
是枝「春組はみんな愉しそうだった。学校のクラスでこんなに感情を解放しているっていうのは、ぼくは経験がなかったかな。みんなでぶつかり合ってる感じが。(時間割りがなく)その日の最後に百瀬(百瀬司郎)先生があしたの1時間目は算数のつづきをやろうか、みたいなことを言ってそれを日直が書く。毎日そうだったと思いますよ。教科学習が縦割りでなくて、あらゆる教科が春組ではローラという牛でつながってる面白さ」(つづく)