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是枝裕和 × 大島新 × 鈴木あづさ トークショー レポート・『反骨のドキュメンタリスト 大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃』(1)

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 日本軍として戦って負傷した韓国人たちは、戦後に元兵士に与えられる軍人恩給が支給されなかった。その方々の姿を映し出した衝撃的なドキュメンタリー番組『忘れられた皇軍』(1963)。

 演出した大島渚は2013年1月に逝去したが、その1年後の2014年1月に『反骨のドキュメンタリスト 大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃』が放送された。『皇軍』本編に加えて大島夫人の小山明子、『誰も知らない』(2004)などの是枝裕和、大島と親交のあった田原総一朗のインタビューが加えられている。

 2月の座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルにてリバイバル上映が行われ、是枝裕和、大島の子息で『香川1区』(2021)などのドキュメンタリー監督・大島新、『反骨のドキュメンタリスト』を演出した鈴木あづさの各氏のトークもあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【『反骨のドキュメンタリスト』】

鈴木「私は功労者ではございませんで、日本テレビのアーカイビストの佐々木さんが真の功労者です。大島渚さんが2013年に亡くなられて、彼女は映像を保管する仕事をしているんですが、是非大島さんのドキュメンタリーを復活させたいということでラージテープを持ってきてくださって。私は産休から復帰したばっかりで、ようやく念願のドキュメントに配属になって6本のフィルムを見たんですけど、この『忘れられた皇軍』に横っ面を張られたような気分になりました。こんなに怒ってる番組は初めて見た。私たち制作者は何かに怒ってるだろうかと。いまに甦らせたい。

 (6本のうち)1本目の『氷の中の青春』(1962)はつらくて、ひたすら氷の上で釣りをしてる。ナレーションもなく、最後に「労働とは何だ。青春とは何だ」(一同笑)。日本テレビの大御所の牛山純一が制作者の署名入りのドキュメンタリーをつくるべきだ、それは不偏不党で中立を掲げるNHKと差別化を図る上では重要だということで新進気鋭だった大島さんを呼んできたんですね。まずはポエムみたいなのつくってみない?ということで。見てるほうはつらい」

大島「つらいですね。あまり面白くない(一同笑)。多分、2作目の『忘れられた皇軍』で大島渚はドキュメンタリーに開眼したのかな」

鈴木「あと4本くらいあって、授乳中で眠くて(笑)。ダムとか『ある国鉄乗務員』(1964)とかはつらい。とにかく『皇軍』だな。韓国人の方が日本人として戦っていたというのも、私はいま47なんですけれども(年代的に)なかなか知らない。知っていても実感はない。傷痍軍人も見たことがないし。日本の歴史の中で加害者である自分を認識していなかった。なので切迫感に駆られまして。

 最初は「これでいいのか」って大上段に振りかぶったタイトルにしたら、チーフプロデューサーの谷原さんが「『忘れられた皇軍』って入れなきゃダメじゃん」って(笑)。私としては単に大島渚を偲ぶのではなくていまのテレビを問い直すきっかけにしたい」

是枝「「NNNドキュメント」というのは誰でも企画を持ち寄れる枠なんですか」

鈴木「結構熾烈で全国ネット局でつくってる。企画会議はみんなで山荘に泊まってやいのやいのやって、ようやく企画が通る。厳しくて、まずは小グループで企画を選んでそれから全体で。私は是枝監督にあこがれてテレビマンユニオンを受けて最終で落ちたんですが、それに匹敵する厳しさ」

是枝「何で落とされたんだっけ」

鈴木ソフトボールの試合が最終で、テレビマンユニオンの社員と受験者とでやって落とされました(一同笑)」

是枝「何で落とされたって受けた人から苦情が来たという。企画はすんなり通ったんですか」

鈴木「佐々木さんの熱い思いに打たれてやらにゃいかんということで満場一致で。大島渚さんが亡くなられてすぐやりたかったんですがどう料理するかを考えて、1年後の2014年1月にようやく放送できました」

大島「是枝さんのインタビューを撮るたまに事務所の前で張ってたんですよね」

鈴木「(笑)是枝さんは覚えていらっしゃるか判りませんが、お断りになった」

是枝「ほんとに?(一同笑)」

鈴木「『そして父になる』(2013)で忙しくていまは無理だみたいな感じで」

是枝「失礼しました」

大島「すごく印象的で、事務所の前で張ってつかまえたって鈴木さんがおっしゃってて」

鈴木「反響はすごくあって、若い方から知らなかったとか。否定的な反応も来るかなと思ったけど、好意的でした。若手も意欲的な企画書を出してくれるようになって嬉しかったです」

是枝「こんなに長くやってるのに、出しても企画が通らないかなと思って出さないっていまだにありますね。でもこれを見せられるとさ、できないことはないかもしれないとちょっと思う(笑)。鼓舞するという意味でも貴重です」

【是枝監督と『忘れられた皇軍』(1)】

大島「是枝さんは、この番組以前も『忘れられた皇軍』のことを書いてくださってますね」

是枝「いつ(初めて)見たかのタイミングがインタビューの度に変わってるんだよな。「NNNドキュメント」に在日コリアンの企画書を持って行ったら、プロデューサーの菊池さんにこの枠のためだけに1年間がまんしてスタジオバラエティをやってるディレクターたちが命がけで企画を取りに来るから他の制作会社に門戸を開くわけにはいかないと。それで申しわけないけどフジテレビに持ってって(一同笑)1992年に「NONFIX」で在日コリアンのシリーズをやったんですよ。まだぼくみたいな制作会社の人間がNHKをやるって流れはなかったので、それでNNNに持ってったんだけど。ぼくも挫折してるんですよ(笑)」(つづく