1970年からつづく長寿番組『遠くへ行きたい』。そのスタート当初は故・永六輔がレギュラーを務めている。2月に高円寺で『遠くへ行きたい』の第1・16回の上映と今野勉・是枝裕和トークショーがあった。
上映された『遠くへ行きたい』の演出を務めた今野氏は、いまはドキュメンタリーのつくり手として知られるが、かつてはドラマ畑を歩んでいた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理して閉まっている部分もございます。ご了承ください)。
今野「『七人の刑事』(1961)は視聴率が高くて人気シリーズで、4人くらいのディレクターが交代でやってて。28歳でADの経験もなく1回目から問題起こしました。刑事が主役で、罪を憎んで人を憎まずみたいな人生訓が出るんですけど。金属バット事件があって裕福な家の息子が教育熱心な親をバットで殴る。貧困のせいでもないし、豊かな社会が不気味に変わっていく予兆として捉えて、刑事が若者の犯罪を理解できないという話にしたら、七人の刑事がおれたちの出番がないと(一同笑)。本読みのときから言われて。佐々木守に脚本書かせたら、ある刑事は台詞がひとことしかない。こっちは気づかないで、呼び出されたり。放送までこぎつけたけど、演出部の電話が一斉に鳴って今晩の『七人の刑事』は何だと。ただプロデューサーが偉くて、実際の世の中がそうだからとかばってくれて。若い世代が見るようにもなって反響もあって、ぼくは切られずに済んだんですね。(長期シリーズがマンネリ化したら)いままでと違うけど面白いというのをつくり上げていくしか、打開の道はないかな。その後何度もぶつかりましたけど、プロデューサーがお前ちょっと休んでろと。2か月くらい大人しくしたら、よし企画書書け。そういうのに育てられてきましたね」
【現場の想い出(1)】
『遠くへ行きたい』の第1回は岩手、第16回は長崎・天草が舞台。1970年に設立されたテレビマンユニオンの制作で、10月からの放送を目指して8月ごろから準備していたという。
是枝「(シリーズの)1回目を演出するのはどういうお気持ちでしたか?」
今野「ぼくは8月まで別の番組のディレクターやってて、第1回は萩元(萩元晴彦)さんかと思ったら。1回目はロケハンにも行ってない(笑)」
是枝「小耳に挟んだのは、萩元さんと永さんが合わなくて急遽今野さんのが第1回になったと」
今野「そういう感じも。ロケは始まってて、ラッシュを見たら永さんが乗ってない。高校野球も出てくるけど、なんか興味なさそう(一同笑)」
是枝「テレビマンユニオンができて、社運がかかった作品ですよね。そのオープニングタイトルがずっと線路(一同笑)」
今野「ずっとドラマで、ドキュメンタリー的なのをつくるのは初めてでした。永さんといっしょに仕事をするという意識のほうが強くて。最初の打ち合わせが8月でいくつかこういうことをやりたいと。
永さんはラジオで旅番組をやってたんで、スタッフは礼儀正しい人にしてほしいと(笑)。人の家に入っていくときに、カメラマンは撮影しながら無言で入っていく。永さんは絶対許さない。カメラマンが「失礼します」と頭を下げるもんですから、画面も(一同笑)。撮影するってのを上のものだと思うなと、取材する人への敬意や礼儀を持っていました。
永さんはドキュメンタリーと言うよりも、いろんな地方で話を聞くから私を30分写せば30分番組ができるんだという。当時テレビでは、スタジオの外は中継車か16ミリフィルムしかない。それでフィルムで行くんですが、同時録音がほぼ不可能。偶然にもアメリカで同時録音ができるカメラができて磁気録音にできる。それを使った第1号で日本で初めてのフィルムの同時録音。永さんの旅なら同時録音でないとってぼくが言って、たまたまできて幸運でした。おばあちゃんふたりのインタビューは、当時ああいうのはカメラ回る音がうるさくて同時録音できない。インタビューする顔を撮って、録音さんがマイクでいまの話もう一度してくださいと。口と合わないけど、それで放送されてた。
ときどき和服の女の人が映る(笑)。何の説明もなく。あれも永さんの注文で自分みたいなむさくるしい男は見るに堪えない。美女を連れて来て、出してくれと。ドキュメンタリーとは一切思ってないんです。愉しめればいい。見る人へのサービス精神はすごくて、干し草の中から男女の足が出てくるとか(笑)。いっしょにいたモデルさんの足とADの足です(笑)。可笑しさを出したいという。
ラジオをずっとやってきて『夢であいましょう』(1961〜1966)の構成作家で作詞家としても有名で、ほとんど演出家がいらないくらい自分でつくってた経験があるから『遠くへ行きたい』も自分で決められる感じでした」
是枝「バスの中でガイドさんの話を聞いてますね。歌まで歌わせようというのはどのタイミングで?(一同笑)」
今野「自分でも、え!こんなことやってる(笑)。遊び心ですね。永さんが面白いこと言えばぼくらは反応するし、ぼくらが提案したり。即座に対応して、ぶっつけ本番でカメラマンは撮ってる。永さんとぼくらスタッフの間に通い合うものも追っかけてくる」
是枝「今野さんはドラマをやってて、そういう撮り方で番組を成立させるというのに不安はなかったですか」
今野「いまは旅番組多いですけど、あの当時はなかった。どうつくっていいって感じがあって緊張もしなかったです。
第1回は大人しいほうで、第16回は永さんも大胆でスタッフも画面に出すし、自分がわれわれを実況放送したり。関係が濃密になっていって」(つづく)