私の中の見えない炎

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寺田農 × 高橋巖 トークショー “和の匠・美術監督 池谷仙克の映画” レポート・『実相寺昭雄の不思議館/床屋』(4)

池谷仙克について (2)】

高橋「『波の盆』(1983)ではセットで家を1軒まるごとつくっちゃう。引き出しを開けるといろいろなものが入ってて、役者もやりやすいんですね。『青い沼の女』(1986)では東宝ビルトってスタジオをまるまる沼にしてしまうとか。面白い美術ですね。ぼくはまだ入っていないころで話に聞いただけですけど」

寺田「『青い沼の女』は火曜サスペンスで、ロケはなくてセットだけ。最初に雨の中を郵便配達夫が電報を持って来る。その郵便配達夫は私。映るのは手元と目だけ。

 『D坂の殺人事件』(1998)では大正の風景は東京じゃロケできないから、全部セット。タイトルバックは紙細工(の街)。金がないと考えつかない発想だね」

高橋「ぼくは『D坂』とその前の『屋根裏の散歩者』(1992)はチーフ助監督でついてたんですけど、お金がないから工夫するみたいなのがコダイの合い言葉だったらしくて。『D坂』は東映で撮ってたんですが、役所の長い廊下のシーンで、知り合いの制作部からあれはどこのロケか教えてくれと。ライトと柱だけつくって空のスタジオを映したって言ったら愕然としてましたね。美術と撮影と照明をミックスすると実相寺ワールドができてしまう。お金がなくても。逆にお金かけるとよくないですね」

寺田「金がないからみんな考える」

実相寺昭雄について】

寺田「ぼくは実相寺と映像的にきちんとした仕事はないよ。常盤台博士みたいにちょろちょろ出てるけどさ。『無常』(1970)なんて京都まで行って撮ったのに、アートシアターで封切ったときから(出番が)カットされてるからね。結局はいらないところなんだね(笑)。

 21歳から出会って亡くなるまで、実相寺とは音楽関係が圧倒的に多いね。クラシックのコンサートの朗読とか。映像ではぼくは相米慎二とかが多くて、実相寺は「あなたは相米さんのほうだから」ってまた嫉妬深い。ボランティアであれだけ朗読やってんじゃないかっていつも喧嘩してたね」

高橋「(寺田・実相寺両氏は)あんまり密度がない感じ(笑)。お互いドライな感じでつき合ってましたね。

寺田「特にコダイや相米組は、セクションのパート別がない。実相寺はそこまでやらないけど相米はなんか役者ができないと「ちょっとお前やれ」ってスタッフにやらせて、スタッフは「え、私ですか」。役者には見とけって。そんなふうにスタッフと役者の垣根がない。携わってるんだからみんな同じだと。相米に「こんなに苦労してるんだから、当たらなかったら監督の責任だから殺すぞ」って言ったら「いや、みんなでやってるんだからみんなの責任だ」って(笑)。

 のちに『台風クラブ』(1985)の東京国際映画祭での賞金を元手に相米が『光る女』(1987)をつくって、3億ぐらい予算オーバーするんだけど、そのときに音楽に詳しい実相寺さんを紹介してくれと。相米も音楽が好きだったんだけど、両方を知ってるのが私なのでセッティングした。実相寺は他の監督のなんか見ないんだけど、相米の作品は見て気に入って、しょっちゅういっしょに飲んでたね。相米が三枝(三枝成彰)とオペラをやってよせばいいのに実相寺を招待しちゃって「どうでしたか」って訊いたら、実相寺は「あなた、オペラはやめたほうがいいかもしれない」。相米はガクッ(一同笑)。音楽が何たるものかってことを、相米は実相寺ほどには判ってなかったということだね。相米はまたやりたいとは言ってたけど」

高橋「実相寺監督はフルスコアの譜面を読んでカメラ割りとか演出を決めてました。だから芸大の教授にもなったんですけど」

寺田「実相寺は東京芸大の名誉教授になったけど、音楽の専門家でない人が名誉教授って初めてなんですね。ぼくは昔からつき合ってたけど、20年以上も実相寺が音楽に詳しいなんて全く知らなかった」

高橋「ほとんどの人が知らなかったみたいですね」

寺田「最初のころは緻密で「もうちょっと3センチ前、それで前向いてまばたきしないでまっすぐ見て息をしない」って。レントゲンみたいに(笑)。実相寺の作品では俳優は動く小道具だね。美人の女優をカマキリみたいに撮るから(笑)。

 池ちゃんは実相寺のとき以外でも、五十嵐(五十嵐匠)さんとかでも献身的にやってた。実相寺だったら天才だからそのイメージで画になるけど、普通の監督はそこまでいかないから。それだけに具象化するために池ちゃんは頑張ってたみたいだね。美術のセクションは大事なので、今後はスタッフロールで目に留めていただければと思います」