【ウルトラマンというフィクション】
山際「隊員のひとりがウルトラマンになって、怪獣と戦っている間は変身してるからその人は出てこない。終わると変身してた人は「おーい」って遠くから出てくる。ぼくなんか厭でね。普通は「お前どこ行ってたんだ」って言いたくなるじゃない? それを言っちゃいけないんだっていうことで、人をバカにしてると(一同笑)。だけどこのフィクションがいいんだってぼくは最近この歳になって思いますね。よく考えたな。東宝のゴジラでは防衛庁や政府が出てくるけど、そういうのを無視してTACとかの隊員が戦う。ニューヨークだかに本部があるとか、どうなってんだよって感じだけど(一同笑)。このフィクションを考え出した金城哲夫さんたち。この巨大化ってアイディアが根っこなのかな。アメリカ映画でもキングコングが巨大ビルを登るとかヒーローが空を飛ぶとかあったけど、巨大化はないんじゃないかな」
白石「アメコミでも巨大化するだけならあるんですよ。でも人間が変身して巨大化というのは大発明ですね」
山際「バカみたいな話だけど思いついたのはすごいよね。いまでも金城哲夫が円谷プロの伝統をつくった人ってなってますからね。巨大化っていうのは彼の才能だなって思って、最近特に感心してるんですよ。最後の戦いが終わってウルトラマンが「シュワッチ」っていなくなって、変身してた人が「おーい」って出てくるのは厭だったけど、それこそ山中隊員が「敵中で何やってるんだ」って怒りそうですけど(一同笑)。もしかすればこんなことあるかなって思わせるつくりで「そんなバカな」って思わせたら終わり」
白石「そもそも『ウルトラマンエース』(1972)はふたりいなくなりますからね」
山際「そんなとぼけたフィクションだけど、ある意味ではフィクションはいかに力があるかということだよね。いまでも確信しています」
【その他の発言】
橋本「橋本(橋本洋二)さんの最初は山際監督もやられた『コメットさん』(1967)です」
山際「九重佑三子の『コメットさん』は古くてみんな見たことないかもしれないけど、やんちゃ坊主で落第生の兄弟がいる。親を困らせて、コメットさんがそれを教育するために宇宙から来たんだけどコメットさんは宇宙の落第生。落第生が落第生を教育するというわけで、ぼくなんか大喜びでやってた。ところが第2次の『コメットさん』(1978)は優等生のコメットさんと優等生の子どもで、ぼくは大嫌い(一同笑)。『コメットさん』は九重佑三子だから面白かったんだね。
いま子ども何とか庁を政府がつくるって言ってて何をいまごろやってんだっていうものですけど、当時ね、1960年代に子どもを見直さなきゃいけないと。戦後民主主義が何故ダメになったかということから始まって “子ども” であって “子供” は敵だ!というのを言い出したのはぼく…じゃないですよ(一同笑)。児童文学者の佐野美津男が言い出してグループができたんです。その前の文学はつづり方教室とか、いい子で顔を洗って歯を磨いてっていう優等生の子どもを描いてある意味でつまんなかったんです。どちらかと言えば共産党系なんですが、ぼくは大嫌い。もうちょっとやんちゃで大人を困らせる子ども。だから『コメットさん』や『チャコちゃん』(1966)は最後に大人がぎゃふんとなって終わるんです。やがて元気な子どもがテレビから姿を消して、ぼくは失業していったんですが」
上野「“こどもセンター” というのがあって、佐々木守さんや橋本さんともつながりがあって。教育者がテレビとかをバッシングしたんだけど、そういうのがいまの子どもには必要なんだって主張するようなメンバーが多かった。石ノ森(石ノ森章太郎)さんもメンバーで手塚(手塚治虫)さんも初期にはいて、マンガとかテレビ関係の人もいました。田口(田口成光)ちゃんも直接の面識はなくても、影響を受けてました。
森一(市川森一)さんは諫早高校時代に文芸部で、そのころから小説家を目指してたみたい。そういう文学青年であるところが出てますね。
佐々木守さんは『エース』には携わっていないけど、赤軍にも関わりがあったから他の作品では過激なことも書いてますね。守さんは明治大学の児童文学研究会にいて、卒業した後も出入りしててその中のメンバーに重信房子とか遠山美枝子がいて」
佐々木守は大島渚監督の脚本を手がけているが、山際監督は大島でいまだに残念なことがあるという。
山際「大島渚と佐藤重臣とが具合が悪くなって、残念な状態になっちゃいましたね。重臣さんがアメリカのアンディ・ウォーホルなんかの短編を輸入して紹介しようとしたことがきっかけらしいんですけど。何で論争するのかな、ふたりはあれほど支持し合っていたのにと。重臣さんにどうして別れたのって聞きだしておけばよかったんですけど、亡くなってしまって」
最後にメッセージ。
沖田「今年で50周年を迎えて、まさか50年後にもファンの人にお会いできると思いませんでした。自分の芸歴の中でも財産ですね」
山際「『エース』の方々(俳優陣)がいまだ仲がいいのは嬉しいですね」
上野「『エース』でスケールアップしたものを日常的な世界に戻そうってことで『ウルトラマンタロウ』(1973)はそうなったという。そのころにぼくは現場から離れて。『ウルトラマンレオ』(1974)になると企画だけでした。『エース』は最後に現場で関わったので印象深いです」