私の中の見えない炎

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古谷敏 × 岡本祥子 トークショー レポート・『実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン』(1)

 テレビ『ウルトラマン』(1966)にて伝説的な実相寺昭雄監督の撮ったエピソードを編集してまとめた映画『実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン』(1977)。ジャミラシーボーズテレスドンといった怪獣の活躍する名エピソードが集まり、当時ヒットを記録した。

 ウルトラマンスーツアクターを務めたのが古谷敏。次作『ウルトラセブン』(1967)ではレギュラー・アマギ隊員役を演じている。

 3月に調布にて『実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン』のリバイバル上映と古谷氏のトークイベントが行われた。聞き手はフリーアナウンサーの岡本祥子氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

毒蝮三太夫について】

 怪獣と戦う科学特捜隊のメンバー・アラシ隊員を演じたのは毒蝮三太夫。当時は石井伊吉という名前だった。古谷・岡本のおふたりにとって共通の知人であるという。

 

岡本「私は2008年から2013年まで蝮さんのおつきをしてきまして、古谷さんが現場にいらっしゃったことも何度かおありですね」

古谷東宝撮影所の時代から、蝮さんのお顔は。忘れるお顔じゃないんで、四角くて(笑)。当時は伊吉さんで、伊吉伊吉って言われてました。撮影所の中では「伊吉が来たぞ」とか。伊吉さんは東宝の専属じゃなくて、いろんな映画会社に出ていて、遠くから見てましたね。毒蝮さんって名前になるとは思ってなかったです。感じはそっちのほうが合ってる(笑)」

 

 古谷・毒蝮両氏はつづく『ウルトラセブン』にも続投し、こちらではウルトラ警備隊のメンバーとして共演(毒蝮はフルハシ隊員役)。

 

古谷「調布は『ウルトラセブン』のアンヌ隊員(ひし美ゆり子)の産地でもありますね」

岡本「産地(一同笑)」

古谷「しょっちゅうお店に行ったりしてました」

岡本「蝮さんも現場に来ると、ここはアンヌ隊員の店があるんだよって毎回言ってました」

古谷「調布にはライバルの日活と大映もありまして、東宝の連中は「調布には行くな!」と(笑)。最近はアンヌ関係で来るようになりましたけど、素敵な町ですね。深大寺のお蕎麦を食べに来たり。

 蝮さんは仲人もしていただいて、親も同然ですね」

岡本「中継車に蝮さんを乗せて、私は運転もして、遠いときは群馬や茨城まで行きました。私ともうひとりのキャスターとディレクターと蝮さんと4人で行ってまして4~5時間、あの調子でお話いただいてました。古谷さんのお話も出てきてきましたが「おれが仲人をすると、みんな別れちゃうんだよ」って(一同笑)」

古谷「仲人をしていただいた第1号のぼくはいまだに別れないで、我慢強いですね」

岡本「往年のファンの方が来られると蝮さんは色紙にアラシ隊員やフルハシ隊員と書いて、ウルトラマンのイラストも描かれてました。デコレーション部分も指示がありまして、少しでもずれたりすると怒られたり(笑)厳しい面もありました」

古谷「殴られたりはしなかったけど(笑)俳優としての心構えを教わって、人生の師ですね」

岡本「中継のいろは、放送人の心得を、背中を見て覚えましたね。ラジオではそのままの蝮さんしか見ていないので、今回の映画でアラシ隊員を見てこんなにかっこいい方だったんだ(笑)。俳優さんとして素敵な方なんだと改めて感じました」

実相寺昭雄監督について (1)】

古谷「1話は30分もないんですが、そのうちに怪獣やウルトラマンが出てくるのはほんの2~3分しかないんですね。でもこうやって55年も経っても、見ていただける。みなさんが死ぬまで見ていただけたらいいなあと思ってるんですが、そのころにはぼくも蝮さんもいなくなっちゃってますけど(笑)。

 その中でも実相寺監督は支持されています。円谷英二さんの長男の円谷一さんがいらっしゃったから、実相寺監督も活きたんですね。一さんがいなければ実相寺さんもいないかもしれない。円谷英二監督を慕って東宝撮影所から撮影や照明のすごいスタッフが来たんですよ。黒澤(黒澤明)監督の映画を撮ってるカメラマンがウルトラマンを撮ってるとか。映画は総合芸術で、誰ひとり欠けても、録音も照明ももちろん監督も。総合的にいい人たちが集まった。

 でも最初は、ぼくはそうは思ってなかったです。テレビ映画はいいよ、テレビには出たくねえよって俳優さんもいました。ぼくも桜井浩子さんも二瓶正也もそうでした。でも55年が経ってサイン会や撮影会に呼ばれて、財産ですね。

 実相寺監督は変わってる方でしたね(一同笑)。俳優さんとは接点があまりありません。実相寺さんは怪獣に力を入れて、ウルトラマンにはあんまり。特撮の現場にもあまり来ませんし。『ウルトラセブン』ではありましたけど。実相寺さんは大学時代に外交官の試験に受かって、フランス語ができるんです」

岡本「ああ、だからジャミラの墓標がフランス語だったんですかね」(つづく