
【『ウルトラマンティガ』】
ウルトラシリーズは『ウルトラマン80』(1980)以来16年間沈黙していたが、『ウルトラマンティガ』(1996)にて再開される。実相寺昭雄監督は『ウルトラセブン』(1967 )以来の登板。
北浦「それまでに「ウルトラマン 怪獣聖書」とかいろいろやろうとしてなかなかできなくて。『ティガ』では一夫(円谷一夫)さんを中心に会社が一致して、銀行がお金を貸してくれることになって回り始めたんですね」
古林「その間、コダイと円谷は離れていましたね。ウルトラをやるとなって実相寺に」
高樹氏は初の女性隊長役。
高樹「平成ウルトラマンはその前の16年間、ウルトラマンが撮られてなかった。少年Aの問題があったときに彼が幼いころにヒーローものがなかったから、満田(満田かずほ)さんはだからつくったほうがいいと」
北浦「それは聞いてない」
高樹「男の子を育成するじゃないけど、お母さん的な存在がちょっと必要だと。だから女性の隊長が必要だということになって、吉とでるか凶と出るか判らないけど賭けだった。2話ぐらいで視聴率が良くなって万歳。16年も撮ってなかったから団結力がありました。ものすごいエネルギーを感じました。
私がロングヘアのイメージだったんで、バイクに乗ってヘルメットを取ったときに髪の毛がバサーッとなるのを撮りたいって満田さんが言ってくださって。でもそれやったら撮影はすごく大変だからって(笑)。
女性の隊長をやることになって「ジャリ番出るの」って俳優仲間に言われました。私は『ウルトラQ』(1966)を見ながら幼稚園に行った世代で、バカにしちゃいけないと思ってましたね。私は1歳ぐらいのときに母と隣のおばさんが話してるときに、アイラインがずれているのが気になったんですよ。1歳でも気になった。だから子どもはバカにできないですよ」
実相寺監督は第37話「花」と第40話「夢」を演出。新聞のテレビ欄にも実相寺昭雄の名が載った。
高橋「(「花」の)初日に曇りだから撮れんって電話がかかってきたときはショックでしたね。映画じゃなくてテレビシリーズで、撮影期間は5日ぐらいって決まってるわけですよね。それを初日に「曇り空で桜は撮れん」って言って来ないっていう。集合場所でみんなに何て説明すればいいんだろう。でも実際は、キャストの方は「やった」って言ってカラオケに行って懇親会ができたと(笑)。とにかくかきまわされましたね。チーフとしてはやりにくい現場でした」
高樹「監督がそろそろどこかで聞いてるんじゃないかな(笑)。ウルトラマンが戦ってる横で寝てるのがあって(現場で)私は6時間くらい横になってて「監督、首がもたないんです」って言ったら監督はにこって笑って「大丈夫!」。あの笑顔は曲者ですね。撮影ではワクワクすることが多かったですね。監督の中にはちっちゃな男の子がいるみたいで憎めない」
勝賀瀬「当時、私は『ティガ』のチーフ助監督をあずかっていまして。実相寺組だけ異質だって覚えているのは、土曜日の夕方放送でその時間に円谷プロの制作室に誰もいなくて。たまたまぼくがビルトから砧の円谷プロに来て、笈田(笈田雅人)さんとふたりでこの回を見てて、終わるやいなや電話がかかってきて。男性の方で「息子が見て泣いてる。何でこんななんですか」と。後ろでぎゃーと泣いてる声が聞こえて(笑)。「すみません、きょうはこんな回なんで」ということで。視聴者から見てもかなり異質だったでしょうね」
高樹「そのお子さん、いま何やってるのかな(笑)」
勝賀瀬「実相寺監督の狙い通りですね。『ウルトラセブン』でも特に厭な回を覚えている。「第四惑星の悪夢」のような不快な回にフックを与えていただいたと思いましたけど」
勝賀瀬「ぼくは昭和43年生まれで、高橋さんや清水さんよりさらに後の世代ですね。生まれたころに『怪奇大作戦』も『セブン』も終わって再放送で見ました」
清水「そんなには変わらない(笑)」
勝賀瀬「中学生に『怪奇大作戦』(1967)の「京都買います」を見て、実相寺監督に会いたいと思っていました。最初は、実相寺監督は話してくれないんですね。ぼくは勝賀瀬って名前なんですけど3か月間ずっと「スガワラくん」と呼ばれてて(一同笑)。お前はどこの出身だって訊かれておそるおそる京都ですと。このひとことを言いたかったんですよ。伏見出身なんですが「京都買います」見て来ましたって言おうとしたら「バカ野郎。伏見なんて京都じゃねえよ」。ショックでした。伏見は田舎者がつくった街で「洛外は京都じゃねえ」(一同笑)」(つづく)


