私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

高橋洋 インタビュー(2008)・『狂気の海』(6)

――では今、監督としても活動されているのは、脚本家として「こんな風に演出されるはずじゃなかったのに」というような鬱憤が溜まったからというわけではないんですね。

 

高橋:そうですね。この前まで、秋に公開される『おろち』という映画のシナリオを書いてたんですけど、それは『狂気の海』で試したようなテンションの芝居があって初めて手応えをつかんできたものなんです。楳図かずおさんの原作ってそうじゃないですか。生身の人間には言えないようなセリフを喋ったりするでしょう。あれを堂々とメジャーの映画でやろうと。『狂気の海』は尺も含めてそれがやれる形を自分で作り出したんだけど、メジャーの長篇だとまた別の形を見つけなきゃならない。その辺はシナリオ段階からけっこう冷静に計算していて、鶴田(鶴田法男)さんならこのアプローチができるはずだと。最初は鶴田さんも「なんですか、これは?」って困惑したみたいなんだけど(笑)、リアルな世界観以外のレンジも持ってる人だから、「別のレンジでお願いします」と言えばわかってくれる。でも鶴田さんも現場で役者さんから、どうすればいいかわからないと聞かれるわけです。役者さんはホンから人物の気持ちを作って芝居をするわけだから当然ですよね。でも、そういう考え方では整理のつかない流れがいくつもあって混乱してしまう。だから、本当に悩みぬいて鶴田さんに相談してきたみたいですね。その時に鶴田さんは、僕が鶴田さんに言った言葉をもう一度言ってくれたらしいんだけど、「この作品は力があればいびつでいいんです」と。それで吹っ切れたというか、キャラクターの整合性を取らなきゃいけないという思いから役者さんも解放されて、現場がうまく回り始めたらしいですね。完成した映画も観たんだけど、やっぱりその手応えはあって、楳図先生も大変気に入ってくれたみたいでホッとしましたけどね。

――それはあくまでも自然らしさとか日常らしさとかじゃないところで成立している世界だということですよね。

 

高橋:さっき言った「日常」とか、整合性とか、人間が頭で考えて安心しようとしていることからジャンプして、この世界はこうなんだ、というのを一から作っていくっていうことですよね。それは人間が常識的に考えるのとはかけ離れた、矛盾に満ちた世界なんだけど、映画ってそういうものだし、我々の実人生もそうだと。でも、『おろち』のコンセプトは鶴田さんだからぶつけられたものなんですよ。自分一人だったら、別のコンセプトを考えるはずです。その意味で二人いるって健全ですよね。お互いに相手をアリバイにして無茶がやれて。昔の撮影所の力ってそれがもっと複数で交錯していたと思います。今は『狂気の海』『おろち』とやったことで、自分の本質だけを撮りたいという志向性が、やっと商業映画と折り合いがついてきたかなとも感じていて、今度は商業映画を撮るつもりでいます。

 

――最後に、ユーロスペースでの公開はいろんな自主映画との同時上映という形で行われるそうですが、併映作品はどのような形で選ばれたものなんでしょうか。

 

高橋:今回の配給は映画美学校だから、番組は基本的に美学校が決めるんですね。でも、なかなかカップリング作品が決まらなかったので、僕のほうから「前からやってみたかった企画があるんですけど」って自分がセレクトしたプログラム案を出したわけです。今まで美学校のカリキュラムで作った作品はほぼ全てユーロスペースで公開されてるんだけど、今回セレクションで上映される作品のほとんどはカリキュラム以外のところで彼らが勝手に作ったものなんですよ。ただ、そういうものは美学校作品ではないから、なかなか上映される機会がない。作家本人たちも上映活動が苦手な人たちが多くて観る機会が本当に少ないんですね。何年にもわたって「もっと上映しないの?」って突っついてたんだけど、なかなか軌道に乗らなくて、今回まとめて上映しようと。だから何か基準があって選んだというわけではなくて、過去に僕が観て印象に残っている作品を集めたという感じです。美学校配給だからといって美学校生が作った作品だけを集めたわけではなくて、『阿呆論』とか『ナショナルアンセム』とか、学外の作品も入れて番組を組んでるんですけど。

 

――そういう面でも、高橋さんは下の人たちの面倒見がいいですね。その情熱はどこからきてるんでしょうか。

 

高橋:面倒を見ているつもりはさらさらなく、自分にとって面白いかどうかなんですよ。これは美学校と関わった当初からの変わらないスタンスです。「教育」なんてスタンスに立ってる講師は誰もいないんじゃないですか。「何かのため」なんて発想で映画は作れないですよね。ただ、こうやって持ち上げることの功罪はあると思います。彼らからしてみたら、労せずして、いつの間にかユーロでの公開が決まってしまったわけだから。そこで生まれる勘違いもあるかもしれない。そういう勘違いや甘さについては、僕はいたって冷酷です。(取材:平澤竹識、千浦僚/構成:平澤竹識)

 以上、「映画芸術」のサイトより引用。

 

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