私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

宮崎祐治 × 金子修介 トークショー(調布映画地図展)レポート(4)

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【マンガについて (2)】

金子石ノ森章太郎さんが『マンガ家入門』(講談社)を書いて」

宮崎「みんなのバイブルだったね」

金子「マンガが上手くなりたければ映画を見ろ、と繰り返し書いてある。アップの次はロングとか、テクニックを説明している」

宮崎「『姿三四郎』(1943)で、蹴った下駄で時間の経過を見せるとか」

金子「下駄に雨が降り、枯れ葉が舞い、1年が過ぎたと。なるほどな。小学校のときに読んだけど実際に『姿三四郎』を見たのは大学に入ったときで、ああこれがと。緒形拳さんがドラキュラ役の『咬みつきたい』(1991)では同じようなことをやって真似しました」

宮崎「ぼくは何故かマンガが全く読めなくなって。時代の影響も少しはあるのかな」

金子「ぼくも『デスノート』(2006)の原作は話が来る1年ぐらい前に息子に「面白いよ」って言われてぱらぱら見て、何が面白いんだ? コンセプトが間違ってるみたいに言ったんですけど。余りにも早く天才同士の対決が始まるのがおかしいって言ったんですよ。映画化の話が来て、原作より厳密にやったかな。

 時代というか、いまの若い人のマンガになかなかついていけないところがありますね」

【その後の金子監督作品】

宮崎「金子監督の『就職戦線異状なし』(1991)の取材に行って、撮影の高間賢治さんとはぼくは何度か仕事してたんで昼飯に行こうと親切にしてくださって。主演が織田裕二で、高間さんがぼくを紹介してくれて。金子監督の同級生でCMディレクターでイラストレーターって言ったら織田裕二は「何ですか、あの人は」みたいな。食ってるときもにらんできて、すごく居心地が悪かった(一同笑)」

金子「学生が就職するのに超売り手市場。内定者を囲い込んで温泉につれて行ったりするけど、マスコミだけは狭き門だという。若者よ、豊さに負けないでというのがテーマ。『豊かさの精神病理』(岩波新書)とかもあって、豊かな時代に自分を見失わないようにしてほしいと」

宮崎「『ウルトラQ』(1966)の映画版を降ろされた話というのは?(一同笑)」

金子「1990年ごろ、『就職戦線』の直前ぐらいに『ウルトラQ』の映画を企画して脚本までつくったんですけど。

 円谷プロダクションは「平家物語」みたいで、平家は巨大な平清盛がいて長男の重盛がいたけど早死にして兄弟同士の争いが起こる。円谷英二監督の長男の円谷一さんが早死にされて、兄弟同士の抗争が…という。

 『ウルトラQ』のスポンサーはセガで『ウルトラマン』(1966)のバルタン星人は出せないの?と言ってきて、いや『ウルトラQ』に『ウルトラマン』の怪獣は出せないということで企画がつぶれていったと。

 『ウルトラQザ・ムービー』(1990)は実相寺昭雄監督が引き継いでくれて、その恨み…じゃなくて思いはガメラシリーズにつながったかもしれないなと」

宮崎「金子監督は歌謡曲にも詳しくて本も出してるけど、『百年の時計』(2013)では歌まで歌ってて。最後にクレジットに「歌:金子修介」って出てきて、遂に歌まで(一同笑)」

金子「「♪こんにちは こんにちは」っていう三波春夫の歌が使えなかったからですよ。使えないんで、自分で歌うしかなかったっていう予算の問題(笑)」

宮崎「また面白いことやってるっていうのをすごく感じます」

【その他の発言】

宮崎「大学3年生で「キネマ旬報」で連載をさせてもらって、それから細々と。イラストレーターは本職じゃないんで。描くんなら自分の味みたいなのを出そうと。純粋絵画で花を描くとは違っていて、こうやって描くと人を愉しませられるかなと。ただデフォルメするつもりはなくて、似せるのが大事だと思っていて。CMをつくったりするのは引退して絵が専門になってるんで、最近自分は上手くなったなと(笑)。もっと自由に描けるなと思っています。

 野村正昭さんの『デビュー作の風景』(DU BOOKS)で金子監督の似顔絵を描いて、連載のときは貧乏な感じで描いたんですけど(一同笑)本になるときはちょっとこれじゃということで直して」

 

 金子監督はガメラの新作のアイディアがあって「KADOKAWAに企画は出しております。こうしたら面白いですよと」。また「ロマンポルノのリブート版」の新作が9~10月公開だという。