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満田かずほ × 小中和哉 トークショー レポート・『ダイゴロウ対ゴリアス』(1)

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 大食いの怪獣・ダイゴロウはみなに持て余される一方で、冴えない発明家(犬塚弘)や町のおじさん(三波伸介)、飼育係(小坂一也)、子どもたちにかわいがられていた。あるとき隕石に乗った宇宙怪獣・ゴリアスが襲来し、地球の危機にダイゴロウは立ち上がる。

 テレビ『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』などの脚本・監督、『金曜日の妻たちへ』シリーズの演出・プロデュースで知られる飯島敏宏。その飯島が撮った映画『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』(1973)のリバイバル上映が、2019年9月に横浜市で行われた。

 当初は飯島氏のトークショーがある予定だったが、都合により飯島氏と関わりの深い満田かずほ・小中和哉両監督が代打を務めた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。 

怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス

怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス

  • 発売日: 2014/07/01
  • メディア: Prime Video

【『ダイゴロウ対ゴリアス』について (1)】

小中「『ダイゴロウ』は、ぼくの生涯の映画のひとつです。10歳のときにチャンピオン祭りで見て感動しました。

 きょう久々に見ましたけど、これほどユニークな怪獣映画はないですよね。オリジナルで独自の世界観の怪獣映画で、ジュブナイルで子どものためというのはガメラの一部であることはあるけど。改めて感心しました」

 

 『ダイゴロウ対ゴリアス』は円谷プロダクションの10周年記念作品。満田氏は当時、円谷プロに在籍していた。

 

満田「当時はアシプロでね。管理職で制作次長もやってたんで『ウルトラマンエース』(1972)とかも見なきゃいけない。100パーセント現場にずっとはいられなかった。

 映画をやりたいって話は(社内で)常にあったのよ。親会社も東宝だし、東宝で上映してもらえる。でも企画はなかなか通らなかった。それで円谷プロ創立10周年ってことで(成立)。制作に入ったのは1972年」

 

 飯島氏は、TBSから木下プロダクションに移っていた。その仕事を休んで『ダイゴロウ』に取り組んでいる。

 

小中「飯島監督は「木下恵介劇場」のプロデューサーだったんで、あらかじめ半年分の台本をつくって、いなくても大丈夫なようにしたと。相当前から企画はあったのかなと。

 『ダイゴロウ』のころは、映画界はちょっと斜陽でテレビの時代で、木下監督はテレビをやられていて。飯島さんは木下さんに、自分が抜ける話をどう言おうか悩んだと。木下さんもジェラシーを感じるところがあったみたいで、どんな映画を撮るんだと訊かれて、怪獣映画だと言ったらああいいよと(一同笑)。ご本人から伺いました」

 

 創業者・円谷英二監督の長男でエース監督だった円谷一がプロデューサー。

 

満田円谷一さんと飯島さんは懇意だったから、ふたりの間でいろいろ進んでたのかな。高野ちゃんは、当時いなかったのかな。1973年の円谷プロは『ウルトラマンタロウ』、『ファイヤーマン』、『ジャンボーグA』の3本抱えてて、ストーリーや怪獣の名前がだぶらないようにぼくはチェックしてた。

 円谷英二監督が亡くなって、一さんは円谷プロを何とかしなきゃって思いが強かったんじゃないかな」

小中「改めて見るとお金かかってますよね」

満田「(予算は)覚えていない。

 音楽はシンセサイザーでやりたいって冨田(冨田勲)さんが言って、まだそのころお金が高かったの。それで普通の音楽にしようということで冬木(冬木透)さんに。今年、渋谷でコンサートやったときも演奏してましたね。

 (ロケは)西伊豆で3つくらいに分かれて民宿に泊まって。朝飯何食べたって自慢し合ったね(笑)。制作次長で、全部は行ってられなかったけど」

 

 主演の三波伸介や発明家役の犬塚弘、飼育係役の小坂一也などとともに、円谷プロ作品常連の小林昭二も出演している。

 

小中小林昭二さんが“変身”と(笑)。ウルトラにも怪奇にも出られて。しっかり芝居ができる方として飯島監督が呼ばれてますね」

満田「出会いは『ウルトラQ』の「2020年の挑戦」で、そこからムラマツ隊長に」

小中「稲垣さん(稲垣カメラマン)の奥さまも出られていると。見合い相手の女性で」

満田「発明家のおじさんは三波伸介だった気がするんだけど、スケジュール的に長くは無理だと言われて。それで熊さんみたいな役に回ってもらって」

小中「三波さんの役には寅さんのイメージだったと、飯島監督はおっしゃってました。芝居がしっかりしてると、安心して見られますね。喜劇人の方たちが」

満田「アフレコだったかシンクロだったかがね、思い出せない。錚々たるメンバー集まってアフレコお願いしますって言ったのかと思うと、ぞっとする(笑)。あの時代はシンクロなんて考えてなかったから。円谷でアフレコじゃなくなったのが『スターウルフ』(1978)だから」(つづく 

 

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