「キネマ旬報」や『映画イヤーブック』シリーズ(現代教養文庫)などでユニークなイラストを提供してきた映画イラストレーターの宮崎祐治氏。宮崎氏のイラストを特集した「調布映画展」が2月から3月にかけて開催中で、宮崎氏と金子修介監督とのトークが行われた。両氏は三鷹高校の同級生で旧知の間柄である(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【高校時代の想い出】
宮崎「彼は生徒会長でぼくはサッカー部。距離はあって、そんなに仲良しでもないんですよ(一同笑)。映画という共通の話題はあるので、こういうときになると金子監督にお願いするという」
金子「1年生のときに、宮崎くんは学校新聞の編集委員になってましたよね」
宮崎「そう、ガリ版刷りで。金子監督は三無主義のマンガを書いてた」
金子「学生運動が下火になって三無主義がはびこっていて、それと戦うという気持ちで(笑)。鉄腕アトムが三無主義の怪物に食べられてしまって四無になるという落ち。それで宮崎くんとお話したと」
宮崎「数年前に国立映画アーカイブスで金子監督とトークイベントで話して、このことも聞いたかもしれないけど覚えてない。ぼくはグラウンドの上でボールを蹴って、相手のキーパーがゴールキックをしたらヘディングで返す役目で。それで脳が…。最近、新聞でも発表されてたけど、ヘディングシュートすると脳によくない(一同笑)」
金子「かっこいい奴というイメージ。宮崎くんはかっこいいんで目立ってた」
宮崎「(笑)そのころから金子監督は文章を書いて。もう大学に入ってからかな。「キネマ旬報」の読者の映画批評のコーナーに「あっ、金子が出てる」。ぼくは絵を売り込んだりする前で、生徒会長の金子がちゃんと出てるというのはうらやましい。同じ三鷹高校生でも分野はちょっと違ってた」
金子「1年生で文化祭に向けてのクラスの出し物として8ミリ映画を提案して、クラス決議で通って、脚本を書いて。初めてカメラに触るってレベルだったんですけど。「虚構の青春」って表紙の台本(笑)。最終的に「斜面」というタイトルに。盗癖のある主人公がクラスの好きな女の子の体操服を盗んじゃって、返しに行ったら見つかって女の子に軽蔑されて、学校を去ると友だちが井の頭公園まで追いかけてきて喧嘩する。主人公は去っていくんだけど、その友だちがスロープに置いてある球を蹴ると、ころころ転がっていく」
宮崎「賞、取ったよね」
金子「全都高校8ミリフェスティバルでプロっぽい撮り方だねって言われて嬉しかった(笑)。マンガみたいに絵コンテも描いて、その通り撮れたわけじゃないんですけど。主題歌は岡林信康の「自由への長い旅」で、クラスでコーラスしました。ヤマザキケイコファンクラブってのもあって、図書館の先生で綺麗な人がいてそのファンクラブとか。そういうことを1年のときにやってました。
2年でもクラスで映画をやって、3年ではクラス単位でなくて “たまねぎくらぶ” を設立しました。当時にんじんくらぶってのがあって小林正樹監督の『怪談』(1964)をつくっていて、それを真似して撮ったわけです。1年生のときにクラスをまとめようとしても参加したくない人がいる。その中の多くの人は体育祭があったから」
宮崎「他のクラスから見るとすごく結束してるっていうか、映画を毎年つくるなんてよくやってるなと」
金子「ただ1年生だから体育祭で招待試合があるぞって先輩に言われると、映画づくりには来られない。それを恨みに思ったわけじゃないけど、生徒会長になったら体育祭の招待試合を中止にするって方針を出したんですね(笑)。一旦決議したんですけど反対に遭って、逆決議になって中止はできないということに。いろんなことを言われて、生徒会長を殺せとかトイレに書かれた(一同笑)」
宮崎「ボール蹴ってただけなんで、申しわけないけど全然覚えてないな。ぼくらは2年で喫茶店、3年でうどん屋をやって。喫茶店の名前は「緑の部屋」で、うどん屋は「ルミエール」(一同笑)。内装を好きにやっていいということで。いま展示したり人に絵を見せたりする仕事は、高校のときの内装と同じだなといまになって」(つづく)