私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

塩田明彦 × 文月悠光 トークショー レポート・『害虫』(2)

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【サチ子と夏子の人物像 (2)】

塩田「(『害虫』〈2002〉)脚本の清野(清野弥生)さんが何を考えてたのか判らないんだけど、ぼくの解釈や宮崎(宮崎あおい)さんの解釈が入ってあの人物ができてる。ぼくが考えていたのは、目の前のことを受け止めて一切動じない、言いわけをしないしないと。こんな人いないだろうと(笑)。人間としてのリアリティと離れているのは、一切承認されることを求めていない。自分のことを他人がどう判断するのかということには興味がない。そういう人物像に惹きつけられてしまうんですね」

文月「夏子(蒼井優)はその点判りやすい」

塩田「夏子さんを偽善者だって言う人も公開当時は結構いたんだけれども、ぼくはそういうつもりではないんですよね。極めてノーマルに描いていました。人のためになんかしたいと思って頑張るんだけど、大概うまくいかない。世の中はそうだよねって」

文月「サチがかわいそうですって強調するんですけど、彼女はサチが幸せになってほしくて、男の子の告白とかもやついてることがあっても全部与えてるけど、サチは無関心で。でもこの映画を見ていて、無関心なサチにいらいらすることはないですね。そうだよねって見てしまって。夏子視点だと見え方も変わるでしょうけど。サチに向いてるのが徹底していて、私にとってはよかったのかな」

 

 この時期に宮崎あおいは『EUREKA』(2001)、蒼井優は『リリイ・シュシュのすべて』(2001)で話題になった。塩田監督の『どこまでもいこう』(1999)に主演した鈴木雄作が相手役を演じている。

 

塩田「『EUREKA』は素晴らしい映画ですけど、見てキャスティングしたわけではないですね。蒼井優もオーディションをしたときに『リリイ・シュシュ』の撮影の前かな。やはり見て決めたわけではない。

 『どこまでもいこう』の鈴木雄作を使ってあげたくて。自分を仮託しやすかったんですかね。現場で蒼井優たちにけんもほろろに扱われているのを見て悲しくてね(笑)」

【中学生映画】

塩田「この前に高校生を主人公にした『月光の囁き』(1999)を撮って、次に小学生の『どこまでもいこう』を撮って。中学生の映画だけは撮りたくなかったんですよ。中学生の輪郭があいまいで、体型の中途半端さもある。被写体としても撮りにくいって印象で。中学生を撮るというのはぼくの人生の計画にはなかったんだけれども、冗談半分で小学生と高校生の次は中学生を撮れってみんなが言うわけですよ。じゃあやるかなんて言ってたらいいシナリオが来て、それで撮ったんだけれども、中学生は青春映画ではないなっていうのが撮り終わっての感想ですね。

 自分自身は、目を合わせてくれないスタッフの思いとは違って、作品に手ごたえがあって、おれは全く新しいジャンルを開発したって思ったんですよ。それは思春期映画というジャンル。青春映画は社会や人間に理想があって、主人公にたどり着きたい場所があって、たどり着けたり着けなかったりする。恋であれ人間関係であれスポーツであれ目標や思いがある。思春期映画は理想がないんですよ。理想を見失ってて、サチ子さんは理想のない最強の形。こんな家族、こんな学校であったらよかったのにという発想すらない。何故か男性より女性に受けたんですが、10代を過ごしてきた印象が生々しい人にはその感覚が伝わったのかな」

文月「目標も理想もない」

塩田「でも生きてる。10代として存在していることがサバイバル。思い起こすと自分もそうだったのかもしれない(笑)」

文月「(中学生は)自分の環境を能力とか何らかの形で切り開けるかもしれないっていうところにも至っていない。周りの環境に翻弄されるんだけど、逆に大人たちは理屈で動いてるから、理屈で動いていない存在に出会うととまどったり翻弄されたりする。どっちが搾取してるとか虐げてるとも言えない。一方が強い、弱いで固定されてない感じ。サチが害虫なのかもしれないっていう可能性を残したままだったからこそ、繰り返し見たいものになっているのかな。サチが不吉な存在として描かれるというか。

 今回、劇場で見ていて犬の吠える声とか雷鳴とかよくないものがたくさんあって、彼女を救ってやりたくなるんだけれども、きっとその手を彼女は思いもよらぬ形で払いのけて歩き去っていってしまうんだろうなと(笑)。つかめた気がするけどつかめないみたいな映画です」

塩田「ここまで取りつく島もない人もいないという感じですね」

 

【サチ子と先生 (1)】

塩田「サチ子が小学校時代に先生(田辺誠一)とできてたらしいという設定は、ぼくがつくったんじゃなくて清野さんなんですけど。男の少女に対する性的な意識が反映されてるみたいに結構言われましたけど、ぼくが書いたものではないんです。公開してみると、そこを気にするのは男たちばかりだった」

文月「サチ以外は…。細部が気にはなったんですけど、この男は歳のこと気にしてるわりにつき合うのやめたほうがいいんじゃない?とか、サチを連れ去っていく人とか。でもこの映画においては、サチ以外はどうでもいいかな(笑)。田辺誠一さんを見るとドラマ版の『ガラスの仮面』(1997)を思い出して」

塩田「見てないな(笑)」(つづく