私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

塩田明彦 × 文月悠光 トークショー レポート・『害虫』(3)

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【サチ子と先生 (2)】

文月「(『害虫』〈2002〉)少女といっしょの田辺誠一にあんまり違和感がない(笑)。カメラもサチ子(宮崎あおい)を真っ向から映すよりも、彼女の先生への反応を映してる。いったい先生が何を見てどう感じているのかがよく判らない」

塩田「多分先生は夏子(蒼井優)さんのように、この子を何とかしてあげたいと思ってるうちに距離を見誤った人だろうと。

 シナリオを読んだら、先生とサチ子の手紙のやり取りは前半から随時差しはさまれて、サチ子が届いてほしいタイミングから少しずつ遅れるんですよ。ぼくはほとほと感心したんですが。サチ子がレイプされかけたところで、サチ子は同い年の男の子とつき合ったほうがいいんじゃないかとか、決定的な瞬間に先生の言葉は届かない。いいなと思ったんですよ。字幕だけというのは周囲の反対も多かったんで、1回ふたりにナレーションで字幕を読ませたんですよ。読み方はよかったんで予告で使ってるんだけども、感情が入らないほうがいい。字幕だけ出て、だんだんとんちんかんなタイミングになって、これが先生とサチ子の関係そのもの。なおかつ世の中ってそうだ、この映画のリアリティの核心はここしかない。あらゆる登場人物がフィクションかもしれないけども、このやり取りには真実がある」

文月「何でここで手紙?というのと、彼女自身に響いてないのがすごくあって。無音っていうところに惹かれた感じはしました。解釈のひとつとして声を与えてしまうと、説得する先生と冷めているサチみたいに二項対立っぽくなっちゃうんので。様相を排除した結果、サチがどこに行くか判らない存在になっていったと」

【詩と朗読】

塩田「ご自身で自作の詩を朗読することがありますよね。詩を朗読するというのがぼくには判らない。アメリカではむしろ詩は朗読するものらしいですね。ゴ―スキーとかも酔っぱらいながら読むとか。ゴ―スキーぐらいキャラクターがあればいいけど、詩は文字で読むからいいのであって、声で解釈が入ってしまうと受けつけなくなるって感じがあるんだけど。自分で読んでて違和感を持つことはないんですか」

文月「あやういなとは思いますね。実作者が読むと、これが正解なんだってどうしても聞き手は感じてしまうので、あくまでも朗読を入口にして活字で詩を読んでもらいたいなと思うんですけれども。

 ただ声だからこそ渡せるみたいなところもあるんですよね。文字だと意味に立ちどまってしまわれる方が多いので。どういう前後関係だとか表現だとかに立ちどまると、詩を読むテンポ感が崩れちゃう。音声や映像だと判らないこともひとつづきで手渡せる。自分で決めたスピード感やコマ割りが実現できるので、本とは違う愉しみがありますね」

塩田「長年の疑問が解けました」

【その他の発言】

塩田「ここではなく桜丘町のユーロスペースでしたけどね。『月光の囁き』(1999)をテアトル新宿でレイトショー公開したときにレイトの興行記録をつくったんですよ。『害虫』ではユーロの前売り記録っていう意味不明な記録をつくったんです(笑)。宮崎あおい蒼井優のファンが買い占めてくれたらしい。大変ありがたいです」

 

 塩田監督の新作『麻希のいる世界』(2022)が公開中。

 

文月「『麻希のいる世界』は『害虫』と『さよならくちびる』(2019)とが合わさったような作品ですね。女子学生2人が主軸で、『害虫』よりも夏子的な存在が主張してくる感じで、夏子側の視点で描かれてる。サチの持っている矛盾した人格、ぱっと見た外見と底知れない部分とが、主人公の麻希と由希に現れてるような。私は『麻希のいる世界』を見てからきょう『害虫』を拝見したので、サチの中に麻希と由希をさがしているような」

塩田「『カナリア』(2005)の登場人物も近いかな。『麻希のいる世界』は汚れた配水管をたどって向こうの世界にたどり着きたいと思ってる女の子たちの話なんだけど、向こうが素晴らしいという保証は何もない。青春映画のようでもあり思春期映画のようでもあるけど違う、第三極なのかなと自分では思ってるんですよね。『害虫』を引き継いでるんだけど対極。『害虫』はクールで『麻希のいる世界』は風が吹きすさんでいる中に体温の高い人たちがいる映画です」

文月「風に吹かれてこのまま消えていくのかなって思ったら、まだ燃えてたみたいな。麻希より由希の意思の強さを見た作品で。私は由希のほうがよく判らない気がしました」

塩田「ここまでひとつの思いを貫こうとするのかと。常識で考えられないところまで行くのがいいかなっていう。どっかで、終わりではこんなところに着いたのかというところにたどり着きたいんですよね。いろんな角度からその人間を見て、こういう人なのかなと思ったらそれを越えていって、気がついたらとんでもないところにその人たちが立っている。

 『害虫』から20年も経って、自分の手ごたえとしてはいままでと全く違う作品がつくれたなっていう思いがあって。いろいろ映画をつくってきて、いま『麻希のいる世界』をつくれて、自分にとっては極めて満足している作品で、何と言われようがかまわないという境地にいまおれは達したなと(笑)。ある種、いまおれはサチだと。賛否両論になると思うんですけど、『害虫』も『月光の囁き』もかまびすしかったですし、賛否両論がない作品は力もそこそこ。どこまで共感してくださるか判りませんが」