私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

高橋洋 × 塩田明彦 トークショー レポート・『ザ・ミソジニー』(2)

【光の恐怖 (2)】

塩田「かつて高橋さんは光の差し込まない密室空間で世界をつくったけど『霊的ボリシェビキ』(2018)や今回(『ザ・ミソジニー』〈2023〉)は風の通る隙間もあるし、窓から光が漏れ込む。開かずの間の向こうにも光が差し込んでる。従来のホラーだったら闇で『霊的』でもそれは残っている。ただ『霊的』で百物語を白昼でやろうっていうのが挑戦で、ここで怖いのが本当に怖いはずだと。今回もその延長で真っ昼間に怖いことが起こっていいんだと。お客さんは置き去りだけど、その置き去り感も含めて素晴らしい(笑)」

高橋「(笑)光の回る場所に惹かれます。それは塩田さんの言う通り」

塩田「明るいままで怖いことが起きるとか、らせん階段が怖いとかっていうのは熟練の技。そこに至る蓄積があって、長い試行錯誤を経ている厚みが映画にありますね」

高橋「昔、スティーブン・キングが出てきてモダンホラーって言われたじゃないですか。ゴシック的な暗がりの想像力を昼間の世界に持ってきて、近代的な都市空間の中で何が起きるか。ただ、いま思ったけど近代的なところではなくて、光を追い求めているのかな(笑)」

塩田「光が闇という語義矛盾を具象化しようとする、それが生み出す何か」

高橋「コンセプチュアルだね」

塩田「『麻希のいる世界』(2022)のときに高橋さんにトークショーに来ていただいて。きょうは配給会社の人から批評しろって指示がメールで来たんで、一生懸命批評してるんです」

高橋「この映画は9月に公開が始まって、何だか新鮮な意見が聞きたくなって。配給会社の人って斎藤さんだよね。そのオファーはいいんじゃない?」

 

【俳優たち】

塩田「怪奇映画は顔の勝負だけど、高橋さんはいい顔を集めてる。おそろしいことに中原翔子さんは高橋さんに似てきている(笑)。男の俳優が監督に似せてくるっていうのは…」

高橋「よく監督の分身みたいな人がいるって言うよね」

塩田「作者である監督がつくった人物は作者に似てるに違いないって意識が働くらしくて。もしかしたら女優と女性監督との間にもあるのかもしれないけど、女優が高橋洋に似てくる(笑)」

高橋「…それは不気味だね。境界線が溶解していくような」

塩田「怖いのか笑っていいのか判らない(笑)」

高橋中原翔子さんとはつき合いが長いからね。20年近い。『旧支配者のキャロル』(2011)以来10年ぶりくらいに出演してもらったんだけど。中原さんはプロデューサー業に進出してたんで。『霊的』では最後に出てきた幽霊は中原さん?って言う人はいっぱいいて、あれは河野(河野知美)さん。

 中原さんに10年ぶりに出てもらったら、以前感じていた以上のポテンシャルを。彼女も50歳に達して引き出しがめっちゃ増えてるぞって」

塩田「いい意味で高橋さんの現場にはがむしゃらな感じがあったけど、今回はそれが脱けてるよさがありましたね」

高橋「魔法陣のシーンでは何も言ってないのに露出しようと(笑)。乗ってるんですね」

塩田「炎の中で燃える顔のシーンは中原さん?」

高橋「そうですよ。さっき言ったプロジェクションで直当て。合成じゃなくて皮膚の上に直接投射しているから、皮膚の一部みたいな質感になるんですね」

塩田「恐怖映画は顔が勝負っていうのは前に高橋さんと話した記憶があるけど、怖い顔が悪い人だっていうのではなくて、何を見てぎょっとして恐怖している人の顔が怖いという。それがより高等な怖さ。幽霊の顔が怖いのではなくて幽霊を見た人の顔が怖いというところに投射しなければならない。そういう顔の描き方を高橋さんは追求してきて、顔の主題と光の主題が重なり合っているのは感動的です。わけても今回の顔は怖い」

高橋「顔を撮るのはまなざしを撮ろうとしている。視線じゃなくて、顔を正面から撮ればまなざしになる。まなざしを撮りたいから人は映画で顔を撮る」

塩田「そんな真面目な話を高橋さんから聞きたくはない(笑)」

【光が描かれた作品】

高橋「光がいつから怖くなったか。『恐怖』のときもそんなことを訊かれて、そうだ『ウルトラQ』(1966)の「バルンガ」だって。巨大なクラゲみたいなのが宙に浮いててエネルギーを吸収しちゃう。自衛隊がミサイル撃ってもダメで、太陽の彼方に飛ばしてしまえって。あ、クラゲは『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964)。バルンガは雲みたいなのだ。太陽に追い払うけど、翌朝起きて太陽を指差してあれはバルンガかもしれないねって秀逸な落ち。別に真に受けてませんよ(笑)。だけど降り注いでるあったかい光が、実は化け物から来てるのかもしれないっていうのは根源的な怖さだな」

塩田「それが根源的な怖さで、そこから始まる具象化の過程が高橋さん。実際に太陽を見て、その怖さを共有すのは難しい」

高橋「それはそうですね。『恐怖』ではヒロインの藤井未菜さんが太陽を見上げるショットで、カメラマンに「太陽を怖く撮ってください」と(一同笑)。天下の芦澤明子さんですから「判りました」。冷たい厭な光の映像になったと思います。スティーブン・スピルバーグみたいな光がちょっとね。ああいうことじゃないなと」

塩田「『未知との遭遇』(1977)で部屋に差し込む光は暴力的ではありますけど、あれは違うと?」

高橋「なんか装置というか仕掛けというか。ここにいちゃまずいと思えない」

塩田トビー・フーパースピルバーグの『ポルターガイスト』(1982)はどうですか?」

高橋「『ポルターガイスト』ってテレビのブラウン管の砂嵐から始まって、ぼくが(『リング』〈1998〉などで)やってきたことと重なっているんだけど(笑)出自不明の光みたいな感触は出てるよね」

塩田「それがスピルバーグなのかトビー・フーパーなのか見分けがたいですね」

高橋「割り切れないものが漂っている感じはするね。スピルバーグ単独だったらもっと綺麗に流通しやすいようにつくりそうな気はする」(つづく