1950年代、東京・椎名町に若きマンガ家たちが多く住んだ伝説のアパート・トキワ荘があった。そのリーダー格だった寺田ヒロオ(本木雅弘)。石森章太郎(さとうこうじ)は売れ、編集者に何度も厳しい言葉を浴びせられた赤塚不二夫(大森嘉之)もやがてブレイクを果たすが、森安直哉(古田新太)などは追い込まれて去っていき、やがて寺田も断筆する。
市川準監督『トキワ荘の青春』(1996)は実在のマンガ家たちを描いた実録ふうの映画だが、市川監督の当時の発言などによると「立志伝」にするつもりはなく、あくまで普遍的な若き日の苦い群像劇が意図されたようである。
12月に目黒で『トキワ荘』と犬童一心監督でやはりマンガ家が主人公の『黄色い涙』(2007)のリバイバル上映が行われ、市川準に私淑する岩井俊二監督のトークもあった。聞き手は映画評論家の尾形敏朗氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【市川準作品の想い出】
岩井「(市川準演出の)CMは見ていたんだろうと思いますけど、市川さんの名前を認識したのはいつだったか。『漂流姫』(1986)という斉藤由貴さんのビデオ作品があって、当時持ってて何度も見ました。『スワロウテイル』(1996)はほぼあれのパクリです(笑)。オープニングから何から似てる」
尾形「市川さんはAXIAっていうカセットテープのCMをずっと撮ってたんですね。その流れで同じスタッフで撮られたものです。政府が斉藤由貴禁止令を宣言する、それで香港に逃げるという不思議な作品です。斉藤由貴のプロモーションビデオですけど(本人は)あまり出てこない。『BU・SU』(1987)もすごくよかったですけど、それより好きですね。余すところなくいい。なかなか見る機会はないですけど。撮影はフィルムですけど、仕上げは多分ビデオでやられてる。ネガが残ってて復刻できたらいいですけど。ぼくにとっては、いままで見てきた日本映画と違うものが出てきたなと」
岩井「いちばん好きなのは『会社物語』(1988)だな。はてしなく見ました。すべてのカットが好きで音楽から何から」
尾形「『会社物語』の現場にちょっと行ったんですが、市川さんは(主演の)ハナ肇が芝居するのを厭がって、大げさになるのを徹底的に抑えると。ハナ肇らしくないものばかり撮ってた」
岩井「声の出し方からして違いますね。数カット、普通のハナ肇の声が出ちゃってるところがあるんですよ。力強い声が出てるんですけど、他のシーンはどうしたのってくらい抑えてる。ただ時代もあって『北の国から』(1981〜2002)の杉田(杉田成道)演出もひそひそ声でしたね。いまの『半沢直樹』(2020)的なものの対極。ハリウッド映画は最近思いっきりそっちで、アクション映画や『24』を見ててもヘリコプターがばりばりいっててもひそひそ声(一同笑)。滑舌の悪いほうがいいと。これって80年代の日本の映画やドラマなんだけど。
『犬神家の一族』(1976)とか篠田正浩監督の『はなれ瞽女おりん』(1977)とか好きな映画は少ししかないんです。好きな映画になると始まりからずっと好きで、ドーパミンが出つづけて何度見てても快感。あんまり数は見なくて、好きなものをひたすら見てる。『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)も50回以上見てるんですよ。市川さんの中では『漂流姫』と『会社物語』で、篠田監督は『はなれ瞽女おりん』。『はなれ瞽女おりん』の上映になると現れる追っかけみたいな(一同笑)。ニューヨーク映画祭にも現れて「また来てるね」と(笑)。作品にほれ込んでしまうという。
市川さんは世代的に、自分のやりたいことのひとつ前を走っておられる先輩ですね」
【マンガの世界 (1)】
尾形「市川さんはCM界に入る前に4コママンガをたくさん描いてて、永島慎二さんのいる阿佐ヶ谷に弟子入りしたいと訪ねていったそうです。でも弟子はとらないと言われて、晩飯だけごちそうになって帰ったと(笑)。岩井さんもマンガを描かれててた」
岩井「アニメをつくったりするぐらい、絵を描くのは好きなんですが。大学のときにマンガ家を目指したことがあって、「ガロ」の青林堂に持ち込んだり。ダメで帰り道に「少年マガジン」に見てもらったらピックアップされて、佳作になって。10万円もらって勘違いしてプロになれるかもと思って(笑)半年ぐらいネームを書いて持ってくみたいな修業時代がありました。『黄色い涙』も決して夢物語として見られないというか、そのしんどさを判るところがありますね。
『黄色い涙』も『トキワ荘』もテーマを同じくしていると思ったんで、このダブルヘッダーはかなり…。それぞれノスタルジックでいい映画のように見えるんですけど、連続で見るとマンガ家残酷物語(一同笑)。同じ風景を2回見せられてるようですごいと思いましたけど。『黄色い涙』はマンガ家だけじゃなくて小説家と画家と歌手で、夢売る若者たちの挫折の話なので自分にも通じるというか。自作で恐縮なんですけど最近撮った『ラストレター』(2020)などは小説家の夢をあきらめきれず、そのまま高齢化していった人の話ですけど。夢をうっかり追いかけてしまった人間の人生というのは、自分もそうだったり、ぼくの周りの大学時代の仲間もそうだったりするんで、なかなかひとごとではない感じで見ちゃいますね。同じ世界線の中にいて、若干メジャーなのがトキワ荘のほうで、『黄色い涙』の永島慎二さんたちは「ガロ」寄り」(つづく)