【マンガの世界 (2)】
岩井「(『黄色い涙』〈2007〉の)梶川先生というのは梶原一騎さんのことですね。ぼくら世代はいちばん啓示を与えてくれた方だったんですけど、素行が悪くてアントニオ猪木監禁事件とかいろんなことを引き起こした結果、抹殺されたというか、スポットのあんまり当たらない人になっちゃって。『巨人の星』や『あしたのジョー』という作品の陰に隠された名前に。手塚治虫さんに人生を変えられた人は少ないけど、梶原一騎の影響力はとてつもなかった。いま見るとパワハラ、スパルタの極致で、教育的にいかがなものかという感ですが。子どもに変な器具を付けたり(一同笑)。でもあの器具すらもあこがれで。養成ギブスで強くなりたいと。
すごい時代だったですね、梶原一騎が連載をいくつも持っていて。手塚治虫さんの『ブラック・ジャック』(秋田文庫)のころを描いたマンガ(『ブラックジャック創作秘話』〈秋田書店〉)をたまたまこないだ読んでたんですけど、人間業とは思えない。飛行機の中でも描いてて、床の上で寝て。飛行機でイベント行って、ホテルで描いて。内容的には難しいかと『ブラック・ジャック』のその回をさがして読んだんですけど、よく描けてて感情もつながってるんですよ。異次元すぎる(笑)。そういう超人たちがいた時代のひとコマというか」
岩井「(『トキワ荘の青春』〈1996〉の)トキワ荘や寺田ヒロオさんのエピソードも息苦しくなりますね。映画でも筆を絶ったと言ってて、その不遇の人生が。マンガ家って職業はヒットを出して一世を風靡してお金持ちになっても「少年ジャンプ」だと次の連載は打ち切られるみたいな。子どものころから目の当たりにしてきました。トキワ荘に住んでいたからといって、特権的なものはない。常にフリーターというか、その職場環境はあまり変わってない。たださすがに少し人道的になってきたのかなと『呪術廻戦』(集英社)の休載に出会うたびに思うきょうこのごろですけど(一同笑)」
尾形「『トキワ荘』の初稿では他のマンガ家も同じくらいの比率だったんですけど、本木(本木雅弘)さんが入ってから、本木さんを純粋なものの象徴として描いてその周りに舞台で活躍している人を置くと。あのころ市川(市川準)さんはちっちゃな劇団の芝居をよく見てて、そこで光ってた人を配する。
『会社物語』(1988)のハナ肇も『トキワ荘』の寺田ヒロオも、市川さんは去っていく人にシンパシーを寄せているというか。『トキワ荘』では苦しむ赤塚不二夫(大森嘉之)とか去っていく森安直哉(古田新太)にウェイトが大きい」
岩井「あの赤塚不二夫の描き方ですよね。え、これが赤塚不二夫なの?(一同笑) やっぱりクレージーキャッツ、ハナ肇をああ描いた技というか。市川準エフェクトですね。ただ市川準さんのイメージにいちばん応えてる俳優は大森さんだったなという気は。目許の憂いが。『会社物語』のハナさんが大好きでちょっと重ねちゃうんですが。
ぼくが実際に体験した範囲で言うと「ガロ」の青林堂は別でしたけど、秋田書店とか奇想天外社とかいろんなところに行ったんですね。ここマイナーそうでよさそうだなと思って行くと結構メジャー志向で、あんまりマイナーなものを持ってこられると迷惑だと。××なんてあからさまに『ドラゴンボール』(集英社)を描けみたいな。「少年マガジン」は普通に受け取ってくれて、そういう体験を経て少年誌を見てると類型的なマンガ家が成功した例はほとんどないんですね。『ワンピース』(同)も『名探偵コナン』(小学館)も、最初は絵からして異色なんですね。ずっと異色を描きつづけて、こっちの眼が慣れてきて馴染みのある絵になっていっちゃう。極端に新しいものを持った人のほうが受け入れられる。
持ち込みのときは、絵はどうでもいいと言われて。「どうせ上手くなるよ、きみ」みたいな。その前に物語をちゃんとつくれるようにならなきゃいけないからネーム書いて持って来いと。それで持ってってアイディアをジャッジしてもらうみたいなことをやらされるんですけど。何か差があるとしたら、異色さですね。入口の時点で差があります。その先は努力の世界ですけど、努力の過程で何かを獲得することもできるんでしょうし。誰にも道は開かれてはいる。
ぼくの場合マンガの出版社には教えてもらったんですけど、映画のほうでは特段教えてくれる人はいなかったので。マンガの出版社と学校の教育実習と、親戚に高畑勲さんがおられたので高畑さんに教わったことが人生マニュアル(笑)。映画については教えてくれた先達がいないですね。作品で見て学ぶしかない」
【映画の構造について (1)】
岩井「『漂流姫』(1986)については、市川さんに直接に告白したことがあります。いっぱいいただきましたと(一同笑)。アイディアを拝借したとかじゃなくて、ああいうものをつくってみたかったと。『漂流姫』は壮大なほらですね。斉藤由貴禁止令が出て、国外逃亡した斉藤由貴を数人が護衛して逃げる。ほら話からここまでのエモーションを拡張できるんだと。真面目に語られる以上のものが得られる。時代がそういうふうだったのかもしれません。金子修介監督の作品も好きだったんですけど、入口はほら話だけど映画として成立している」(つづく)