【『セーラー服と機関銃』(2)】
組員のひとり(上田敏也)に「おふくろのにおいがする」と言われた主人公(薬師丸ひろ子)は、彼を抱きしめる。
田中「星泉は意識しないけど女であり、持っていた母性がばっと出ちゃう。
(2006年に)TBSで連ドラになったんですけど、極道じゃなくてテキ屋にしちゃってる。極道はあぶなくてそこへ女の子が行くからドキドキするのに、テキ屋なんてお祭りに行けばいくらでもいる。腰が引けてるなって思った。
たった5、6人でも「おれたちやくざだ!」って迫力を持っていないと。星泉も火の粉を浴びて、強くなっていく」
ラストで、渡瀬恒彦の遺体に別れを告げた主人公の台詞は「私、愚かな女になりそうです」。『セーラー服と機関銃』(1981)はビルドゥングス・ロマンでもある。
田中「星泉はただの女子高生ですからね。それが大人の愛に初めて触れた。これから人を愛する女になりますって気持ちで(ラストで渡瀬に)キスしたと。いきなりやくざの世界に放り込まれて、死ぬときまでつながるような情のかわし方を見て、その答えが最後のキス。
あんなに当たったのは健やかな映画になったから。ひろ子がゆがんだ男たち、刑務所でかま掘られてついていったりとか、人が愛し合ったり、命を賭けて喧嘩したり、そういうことに触れて生きるってこういうことだと。星泉の成長譚ですね。だからおそらく受け入れられたんですね。
ぼくの願望としては “愚かな女” になってほしいわけ。男でしくじったり、棄てられたり、逆に熱烈に愛されたり。利口な女はそんなことしない、ちゃんといい男を選んで、給料いくらとか。そういう女になってほしくない。ふしだらと言っちゃうとあれだけど、愚かに育ってほしい。薬師丸ひろ子に重ね合わせて、あの台詞を言ってもらいたかった」
【相米慎二監督の想い出 (1)】
田中「相米は曽根中生監督の助監督をやっていて、でもあまり記憶にないですね。曽根中生とは友だちでしたから、相米とも言葉を交わしていたかもしれないけど。
記憶にあるのは渋谷のホテルで仕事していて、ちゃちなロビーでインタビューされていたら、禿げたやつが近づいてきて相米なんですね。インタビューが終わってから、はいって渡されたのが『セーラー服』の原作本でした。(シナリオを)頼みに来た。後で伊地智啓プロデューサーから聞いたら、その渋谷の帰り道で、相米が「陽造ってなかなかいいね」って言ったと(一同笑)。うるせえ、バカ! 呼び捨てなんですね(笑)。
(『セーラー服』の)暴走族のシーンにもびっくりしました。あんなシーンになるとは思わなかったし、亡くなられた照明の熊谷秀夫さんが新宿中にライトを点して、それで撮ったんですよ」
田中氏は『セーラー服』以外でも、相米監督の『魚影の群れ』(1983)や『雪の断章 情熱』(1985)、『夏の庭』(1994)などのシナリオを執筆。
田中「『魚影の群れ』は『セーラー服』の後だったんで(各社が)相米の争奪戦になってた。相米も選べる立場になってて、ホン見せたらこれやりますって。ホンが出来てから、相米が呼ばれたんですね
『魚影』は編集ラッシュが5時間。春夏秋冬を全部撮ってる。青森の大間で(冬のシーンは)真夏に雪降らせてね。すごくいいシーンもあったけど、5時間でしょ。総量じゃなくて、編集したラッシュが5時間(笑)。切れないんだもん。あいつ、長回しだから。
飲み屋で何で長回しすんのって訊いたら、おれちょっとカット割り苦手でって。「カメラを回し出すとカットがかけられない、しょうがないんですよ」と。きみの肉体がそうなってるんだからしょうがないのかな。あいつの生理だから仕様がない。鈴木清順だってカットあるじゃない? どうして先輩の真似ができないのかな(笑)。
(『セーラー服』は)こんなに切ったらぼろぼろになるなって思ったけど、無駄な長回しの中でホンのエッセンスがある一瞬がある。あいつの映画って。
『魚影』では緒形拳がずっとマグロを追っていて北海道に近づいちゃって、近場の北海道の漁港にマグロを上げる。競りをして、待っている間に別れた十朱幸代とばったり会っちゃって。十朱は若い男と駆け落ちして、漁港の近くのスナックのママをやってる。緒形拳は暴力亭主だったから、十朱幸代はバーッと逃げる。緒形は追っていって、海猫が飛んだり雨が降ったり、いろいろあるけど長回しでずっと撮っていてカットを割っていない。ふたりはぜえぜえ。このふたり哀しいな、どんな歳月を…って身にしみてくる。無駄と言えば無駄だし、追いかけっこ撮るバカいないけど、ああいいな。相米の映画はそれが真骨頂で、無駄な間とかに相米の魂がある」(つづく)