私の中の見えない炎

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仲代達矢 トークショー レポート・『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』(1)

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 日本を代表する名優・仲代達矢。その仲代のロングインタビューをまとめた『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』(文春文庫)が刊行された(2013年のPHP新書の増補版)。

 9月に、発売を記念して仲代達矢氏と共著で時代劇研究家の春日太一氏のトークショーが行われた。仲代氏は舞台『肝っ玉おっ母と子供たち』(2017)の稽古で多忙な合間を縫っての登場だという。仲代氏は84歳とは思えないほどお元気そうで、オーラには圧倒された。トークは本とほとんど重複するだろうと予想していたのだが、会場でアンケートをとってその中から春日氏が選んで質問するという形式で面白かった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

仲代「こんなにたくさんの方に来ていただきまして、ありがとうございます。長い間、もちろん自慢にならないですが、60年の俳優の歴史の中で150本以上の映画に出ていまして。春日さんは、ほとんど全部ごらんになったと。

 昔の役者は喋らないほうが神秘的だと言われて、高倉健さん、三船(三船敏郎)さんは喋らなかった。それが春日さんの誘導尋問で(一同笑)。ありがとうございます。ただ人の悪口は言うまいと頑張りました。昔の役者は自己主張が強くて、喧嘩して仲良くなって喧嘩しての連続。そういうのをうまい具合に書いていただいて」

春日「錚々たる方々と喧嘩してますね」

仲代「向こうが悪い、正当防衛です(一同笑)。東京大空襲から逃げ回った最後の戦争体験世代。軍国少年として育って生き延びた役者でございます。

 (春日氏は)背高いでしょ。よく見ると役者顔で、どっかの役者かなと。そしたらまた日本映画、外国映画含めてすごい。評論家の中に愛好家が入って、ああ新しい方だと思いました。二枚目ですから。時代劇にも出てるみたいで、われわれの職業を侵すなと(一同笑)」

 

【若き日々】

仲代「私は新劇出身で俳優座に27年間おりました。いまは無名塾というのをやっておりますが、映像もやって。

 俳優学校のころに、私と亡くなった佐藤慶はオーディションに落ちる。青春まっただ中の青年をさがしに来るけど、われわれは横向いたり。

 六本木に俳優座があって、お金がなくて、パチンコ屋で玉を調整する仕事をして、終わるのが3時ごろ。眠るのが4時間くらいっていうのが3年。ナポレオンは3時間っていいますから、4時間で頑張りましたけど。貧しくて、夏に着るものは冬に何枚も着る。貧乏で、渋谷まで(電車に乗らず)走って。照れ性で、監督に顔見られて横向く。受からないですよ。貧乏くさいってのもいいと思いますけど、ただ東宝のオーディションは青春の初々しいのを見つけに来るから、貧乏でこんななってる佐藤慶と私は(笑)。それで9回落ちて、映画はダメだと思っていたら、月丘夢路さんという大女優が私を見つけてくださいまして『火の鳥』(1956)でデビューいたしました。それから年の半分、上半期は映像で下半期はどんな小さな役でも新劇をつづけております。まだ22、3歳で演劇のために役者になって、日活でデビューして。日活からうちの専属にならないかと言われましたが、芝居はできますかって訊いたら、もちろんできないよって。当時は五社協定があって、それで結局二股かけて生きてきたわけですけど。

 俳優になったとき、先生が千田是也という大御所でございました。“お前ね、文学性がないよ”と言われる。本を読め、それが芝居になったとき、この主人公がお前に来たら本がどういうつもりで書かれたか考えろ。声や歩き方を考えるのが基本だと教え込まれました。いろんなシナリオ読んで、俳優学校の後、俳優座に27年いて、こういうことかと80歳で気がつきました。基礎訓練はしないといけない。お寿司屋さんも握るまでは何年もかかる。年寄りが何言うかって思われるでしょうけど、若い役者にはパソコンばっかりじゃなくて本を読めって言うんですけど。

 映画ではこの役やりたいと思っても、向こうから声かからないとできない。需要と供給で。お金持ちになりたいから俳優にって人もいますけど、お金ないですよ。来年どうなるか判らない。私は学歴ないですよ。食うために役者になったところもありますけど、本当はサラリーマンになりたかったんです。毎月保障があって、子ども育てて、定年迎えて老後過ごすなんて素晴らしいじゃないですか」(つづく)