【映画『男はつらいよ』について (2)】
秋野「渥美(渥美清)さんは、私のことはどう思っていたんでしょうね。同じ下町育ちのろくでもなさというか、そばに置いといてもこいつはいいだろう、かな(笑)。
映画は1時間半の中に話を盛り込みますから、描ける人物も限られる。テレビは何十本もありますから周りの人物が動き始めて、この回はこの刑事が主役とか。そうしないと保たない。テレビでは主役はだんごの串で脇役に出番が回ってくることがあるけど、映画はない。何本やっても、脇役にはつまらないってこともあり得る。いつもの芝居をして、横からゲストが活躍して…。脇役には、映画は面白いものではないです。主役ならいいけど。
テレビでは舎弟でいっしょにいたけど、映画ではそうではなくて、やりがいはなかったです」
【俳優座時代の想い出】
秋野「俳優座の下部組織に俳優学校があって3年いました。男が20人、女が20人くらいいて、卒業してやっと劇団に入る。学校時代には実習もやります。座学もありますけどメインは実習で、いろんなことやりました。2年生になると自分で考えてやる。1学期の宿題はテーマを与えられる。例えば “畏れ” で、それで寸劇を考えてみんなの前でやるとそれぞれの個性が出る。2学期は “別れ” とか。不思議と私がやるとみんな爆笑。椅子から転げて笑ってた。あれ、そこそこ二枚目のつもりでいたのに(一同笑)。それから俳優座に入るんですけど、配役されて真面目な芝居にぼくが出ると、笑わせて引っ込むコメディリリーフが多かった。そういう私が渥美さんに出会っても、流派の違いはない。
いまは新劇もどっかに行っちゃったけど、昔は名俳優がいて。だいぶ見せてもらいましたけど、面白いのと少し違う。うまいかもしれないけどつまんないって人もいて、そういう人に限って権威がある。恐れ入りましたって演技。偉そうに立派な声出して、もっと普通の声出せよって(笑)。ぼくなんか下っ端だから、先輩のスター俳優の下で乞食の役をやって、乞食は舞台転換もやる。台詞なんかひとつもない。ちょっと見ると、スターがこんなに長いシークレットブーツ履いて(笑)何だこいつらって思ってましたね。
渥美さんはお客さんを愉しませようとしてました。それには下へ行かないと。新劇の人は上であこがれさせたり尊敬させたり、そういう姿勢。渥美さんは下で愉しませようというのが見える。庶民的で、変な言い方だけど民主的。そういうの好きでしたね。不遜ながら、この人(自分と)同じ人だって思いましたね。そばにいさせていただいた理由もそれだと思っています」
【文筆について】
秋野「ぼくはもう伸びしろないんでね。いまさらあれだけど、パフォーマンスっていろいろあると思うんですよ。インタビュー受けたり、春日(春日太一)さんとお話しして聴いてもらうのも表現だし。文章書いていこうというのもありますね。
役者やるより文章書いてるほうが面白いですね(笑)。人によって違って、さんま(明石家さんま)さんは文字が厭だと。そういう人もいるでしょうけど、ぼくは机の前で何時間いても飽きない。気がつくと夜が明けて全然眠くない。向いてるんですかね、ぼくは。あとはワープロのおかげですね。編集もすぐできますから、助かってますね。
岡本綺堂の『明治劇談 ランプの下にて』(岩波文庫)というのがあるんですが、老人の話を若い人が聞くという炉端談話。ワーキングチェアで老人が若い人に語る。岡本綺堂は新聞記者から演劇批評家になって戯曲も書いている人で、自分が出会った俳優さんについてどういうふうに感じたかを話していて、若い人が聴く。ああいう人みたいに、ぼくは結果出してるわけじゃないけど、語ることができるかなと。
みなさんもうちに帰って一杯やりたいところでしょ。こんな立派なところに呼んでいただいて。できれば印税生活に入りたいですね(一同笑)」
サイン会では、秋野氏が謎の先生役を好演した『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』(1987)のファンであることをお伝えすると、驚いた顔で「忘れられない役です」と言われていた。『覇悪怒組』はリアルタイムで見た当時の子どもたちには人気があるのだけれど、反響は秋野氏のもとには届いてないのかな…。