テレビ『必殺仕掛人』(1972)や『俺たちの旅』(1975)、『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』(1987)、『エトロフ遙かなり』(1993)などで知られるベテラン俳優・秋野太作。その秋野氏が映画『男はつらいよ』シリーズなどで多数共演した渥美清についてつづったエッセイ『私が愛した渥美清』(光文社)が刊行された。
発売記念のトークショーが八重洲にて行われ、聞き手は時代劇研究家の春日太一氏が務める。春日氏は、役者の著作はいいエピソードか暴露か演技論かになってしまうのだが『私が愛した渥美清』はその3つがそれぞれバランスよく入っていると紹介してトークが始まった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
秋野「亡くなられてだいぶ経ちますよね。役者人生でびっくりするような人が何人かいて、その最大の人が渥美さん。私の役者人生に大きな意味のある方で。
亡くなられた10年後くらいに10枚くらいのエッセイを書かせていただく機会があって、でももっと言いたいことがあると思いまして。自分のためだけにやおら書き始めたんですね。思いのたけをワープロでA4の80枚くらい。ロングエッセイ、私小説とでも言うんでしょうか。胸にあるものをはき出して。それからまた10年、いろんないきさつがありまして、本にしていただくので手を入れ直して、一般的な書籍として成り立つように書き直したんですね。本にも書きましたけど、思いのたけはホモセクシュアルの人みたい(笑)」
【渥美清の想い出 (1)】
秋野「プロの俳優はいろんな人とからむので、素人目線であこがれるということはないんです。ぞっこんっていう人はいないんですが、でも渥美さんだけは、ひと目画面で見たときから惹かれたんですね。こんな俳優さんがいるんだ。むんずと好奇心をつかまれたんでしょうね。ファンです。
本質的に喜劇が好きで、重たいものは好きじゃない。新劇は重たくて8割方は悲劇。でも小さいときから喜劇が好き。みんな剣豪スターにあこがれてたけど、ぼくはエノケンが好き。新劇(当初入った俳優座)ではいつも浮いていました。それでテレビで渥美さんを見て、こんな俳優さんがいるんだ! こんな俳優になれたらなというのがありましたですね。
普通の方は役者に会ったらイメージと違うとおっしゃいますが、ぼくは渥美さんも演技として見ていたけど、でもやっぱり思った通りの人でした。三枚目とか面白いとかじゃなくて、ぼくが思ってた通りの、昔見た下町にいる変なおじさんですよ。寅さんと違うといろんな人が言うけど、そんなの当たり前の話で。そういうことではなくて淋しい一面とか空を見つめてるとか、ああ思った通りだ。芝居は面白くて、止めると別の顔になる。そういうのは理屈を超えてますね。
舞台の訓練を受けてると、映像の芝居をやるだけで大変です。全然違うから。映像の中にもいろんな流派の人が来ていて、新劇に軽演劇に歌舞伎の人までいて方法が違いますから。渥美さんに関して言えば1回こっきりの芝居。新劇のお芝居は長い間稽古します。悪いことではなくて、稽古して作者の世界観を実現する。でも渥美さんはそうじゃないんですね。どう言ったらいいんだろう。パッとそのままなりきっちゃう。一過性で2度とできないお芝居でびっくりしますね。しかも面白い。でたらめでなく作品に収まって、勝手なことでなく、より面白くしてる」
『泣いてたまるか』(1967)にて初共演した際に「適度のセンスと理解力を持って 流れるように流れるように」と唄って?アドバイスしてくれたという。
秋野「若いぼくの役者魂に響いた言葉で、こういう指導をする人はいないですからね。(声真似で)適度なセンスと理解力って(一同笑)すらっと言う人はいない。考え込むのもいいけど、現場で感じたことをやりなさいと。真面目な役者ほど用意して考える。でも現場に来ると全然違って、周りと合わない。そういうとき怒る役者も多いけど、相手がそうするなら自分が悪いのかもしれない。現場のひらめきや直感が大事ですよ。融通の利かない役者はストレスたまって、主役みたいに立場の強い人はすぐ文句言う。面白いもんですよ(笑)」(つづく)