私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

仲代達矢 トークショー レポート・『殺人狂時代』(2)

f:id:namerukarada:20180701022030j:plain

岡本喜八監督の想い出】

仲代「俳優学校の3年のとき9回映画のオーディションに落ちまして、仲代と佐藤慶とふたりで落ちる。抜擢されたのは宇津井健さんとか中谷一郎佐藤允。もう映画はダメだと。落ちると悔しいけど、佐藤慶とふたりで粋がって、映画なんか何だと。月丘夢路さんのラジオドラマにガヤ、10人くらいで台本にない台詞を喋る。そのときに月丘さんに拾っていただいて、映画『火の鳥』(1956)でいい役をもらいました。それが映画デビュー。次が『裸足の青春』(1956)、宝田明さん、青山京子さんで。監督が谷口千吉さん、チーフが岡本喜八。ぼくは敵役。喜八ちゃんは西部劇みたいなスタイルでかっこいい。お風呂は嫌いでしたけど。女優さんにも人気があって、ああそんなこと言っちゃ申しわけない(一同笑)。喜八ちゃんってそのときから言って、デビュー作の『結婚のすべて』(1958)にもちょっとした役で出て、それからずっと使っていただいてます。『独立愚連隊』(1959)は出られなくて残念だと、当時から思ってました。ニューヨークなんか行くと、黒澤さんと同じくらいしょっちゅうやっています。私も行ったら、『殺人狂時代』(1967)も大拍手。『大菩薩峠』(1966)も難しい話ですけど、最後のチャンバラで大拍手でした」 

仲代「『肉弾』(1968)は、終戦のときに神風特攻隊、震洋の訓練をさなっていたんだそうで、それで撮りたかった。東宝じゃ撮れないんで独立してやられて。私もナレーションをやりました。常に戦争というテーマがありましたね。私よりも少し年配で、兵隊さんの経験もありましたから。戦争へのアンチの気持ちが猛烈にあった。

 『肝っ玉おっ母と子供たち』(2017)というの(舞台)を去年やりまして、戦争というものは商売だと。勝てば商売で、下々という言葉を舞台で使いましたけど、犠牲になるのは庶民。いまでもうさんくさい。国を守ろうとすると戦争は始まる。こないだのは反戦劇ですね。私は終戦のときは中学1年で、戦争のために死ぬ、1億玉砕という教育を受けてましたから。東京で空襲に遭って、ある意味では体験者です。残り少ない役者人生ですが、そういうことを最後まで伝えたいと思っています。映画・演劇・テレビで戦争否定というので、役者としていきたいなと。『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)

とか喜八ちゃんのテーマもそこにあったと思います。

 役者にはまず優しい。“もう1回いこうか”って緊張させずに。スタッフには急に厳しくなる。役者はリラックスさせてうまく使おうというのがあったのかなと。

 岡本家には、食えない役者とかスタッフがいっぱいいましたね(笑)。監督は“うちのみね子が質屋行って”と。何十人といましたよ。

 私は役者ですから監督に従うわけですが、監督に酒を覚えさせたのは私。ゴルフを覚えさせたのも私(笑)」 

【その他の発言】

仲代「長い映画・演劇生活では、監督の言うことを忠実にやってきたと思います。出会いがよくて、素敵な監督に出会いました。そのおかげでやってきました。

 黒澤(黒澤明)監督もゴルフがお好きで、こういうこと言っちゃいけないのかな(一同笑)。みんな賭けしますよね。公式的にはいけないです。黒澤監督は賭けちゃいけないと。なんかやってて面白くない(一同笑)。“ゴルフはスポーツだよ”と一銭も賭けない。×× 監督は、仕事が来ても面白くないとやらないので、ゴルフと麻雀だけで食ってましたよ(一同笑)。

 三船敏郎さん、勝新太郎さん、萬屋錦之介さんたちと立ち回りやるとどうしても私が下手なんですね。稽古をめちゃくちゃしました。喜八ちゃんの『大菩薩峠』では、10日間人を斬ってましたよ。新選組いなくなっちゃうんじゃないかな(一同笑)。アクションは細かいコンテで、つなぎ方が上手かったですね。兄貴と呼んでたのは岡本喜八ちゃんと、作風は違いますが五社英雄監督。兄貴分でしたね。おじいさんは成瀬巳喜男さん。小津(小津安二郎)さんと溝口(溝口健二)さんには使ってもらえなかったですね。あとはだいたい…。市川崑さんは可笑しかったですよ。ギャラ分だけ仕事してないな(一同笑)」 

大菩薩峠[東宝DVD名作セレクション]

大菩薩峠[東宝DVD名作セレクション]

仲代「雑談ばかりで、台本があればいいんですけど、ないからね(笑)。

 ときどき昔の自分の映画をDVDで見ても、大画面のほうが迫力はありますね。どうしてもこれをつくりたいと、役者ですから映画の場合は監督から指名されきゃ出られませんが。いまも優秀な役者や監督はいます。つくりたいものをつくって見ていただく。どれだけ当たるかということで多々つくられていますが、われわれはできるだけこれがつくりたいというものを。お客さん来なくてもいいやと、この映画もかつてそうだったんですが(笑)。傑作は時空を越えますね。評判がよくても10年経つとつまらないとか。われわれ一生懸命つくりますから、映画でも演劇でも素晴らしいものをつくりたいと、われわれ頑張ります(拍手)」

 

 岡本喜八作品を多数プロデュースした岡本みね子夫人も来られていて、最後に握手していただいた。