読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

大森一樹監督 × 岡田裕P トークショー レポート・『ユー・ガッタ・チャンス』(2)

大森一樹 映画

f:id:darakarumena:20140425103321j:plain

【吉川三部作のスタッフ】

岡田「吉川晃司くんは、渡辺晋さんが広島の高校から見つけてきたんです。優秀な水球の選手だから、動いたり泳いだり全部できるって」

 

 故・渡辺晋は渡辺プロの創業社長として芸能界に君臨した人物で、2006年にその生涯が『ザ・ヒットパレード 芸能界を変えた男 渡辺晋物語』と題してテレビドラマ化された。吉川三部作を手がけたのは、最晩年にさしかかっていた時期である。

 

岡田「渡辺さんは渡辺プロの社長で、日本の芸能界の基礎をつくった人で、吉川くんを映画につづけて主演させてスターにしていこうと考えた。それで、地味でいいから青春映画をつくってくれと」

大森「1作目の『すかんぴんウォーク』(1984)はその注文に則って、まあ地味な青春映画ですよ。このへん(『ユー・ガッタ・チャンス』〈1985〉)からおかしくなって、次の(『テイク・イット・イージー』1986〉)で完全に暴走(笑)。よく撮らせてくれたなと」

岡田「全く無名の人(主演俳優)で、原作もないしね。

 年に1回、渡辺晋さんの広尾の豪邸へ行って、そこで(脚本の)丸山昇一さんとぼくと大森さんで相談してつくっていった。晋さんもオリジナル作品だから嬉しそうで」

大森「音楽は晋さんが決めてた。『すかんぴん』のときは、宮川泰さん。『スターウォーズ』(1977)の人にするって言うから、ジョン・ウィリアムスかと驚いたら、『宇宙戦艦ヤマト』(1977)のことだった(笑)。宮川さんも映画が好きだからね。あの時代はスクリーンに映像を映して、指揮者が合わせて、音楽を一発録りしていましたね」

岡田「晋さんは音楽と映画がほんとに好きな人で、この三部作の少し後で亡くなられましたね」

 

 三部作の脚本は、映画『処刑遊戯』(1979)やテレビ『探偵物語』(1979)など松田優作とのコンビで知られる丸山昇一が手がけている。

 

岡田丸山昇一さんは松田優作の座付き作家みたいな人で、リアリズムをベースにしながら、そこをちょっと離れて書くのがうまい。こういう三部作には合ってるね」

大森「丸山さんのホンには、こんなん言わんわっていう台詞がある。でも吉川くんが言うとかっこいい。

 神戸へどうやって行こうって言ったのが、丸山さん。そこで(石原裕次郎主演の)『憎いあンちくしょう』(1962)のイメージが出てきた」

岡田「晋さんは、われわれが話してるのをニコニコして聞いて。業界のボスでいろんな噂もあった人だけど、このときは童心に返って愉しんでくれたね」

 

 企画・制作は東宝と渡辺プロだが、撮影には日活の撮影所が使われた。

 

大森「この三部作は日活でやったから。(日活では過去に)小林旭さんの渡り鳥シリーズがあったから、こっちもむちゃくちゃできた」

岡田「渡り鳥は、馬に乗ってギター弾いてるからね」

大森「馬を駐車場に停めてる(一同笑)。

 やっぱりスタッフが良かった。いい先輩方で、撮影所の映画はいいなって。いまは、現場でぼくがいちばん年上だから」

岡田「撮影所は映画の学校ですね。今村昌平から小林旭の渡り鳥まで、いろいろやる。(スタッフが)作品によって手を抜くとかない。いい年のおっさんがむきになってるのがいいですね。いまは一本一本がプロダクション制作ですから、ちょっと淋しいですね」

f:id:darakarumena:20140425103341j:plain

  【俳優陣の想い出 (1)】

 主役の吉川晃司は声が高く、台詞もたどたどしく、いまとは別人のようである。

 

岡田「吉川くんは、このころは水球でオリンピックへ行くかって言われてたけど、まだうぶだった」

大森「(劇中で)吉川が不良監督(原田芳雄)に惹かれていくでしょ。晋さんが、(実際に)ジュリー(沢田研二)も『太陽を盗んだ男』(1979)のときに(監督の)長谷川和彦に惹かれてたな、どうしてスターってああいう不良監督が好きなのかなって」

岡田「晋さんは、ジュリーを奪われるような気がしたんだね」(つづく)  

ユー★ガッタ★チャンス [VHS]

ユー★ガッタ★チャンス [VHS]