私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

高樹澪 × 北浦嗣巳 × 油谷誠至 × 高橋巌 × 古林浩一 × 清水厚 × 勝賀瀬重憲 トークショー レポート・『あさき夢みし』『帝都物語』(1)

 テレビ『ウルトラマン』(1966)や『ウルトラセブン』(1967)、『ウルトラマンティガ』(1996)から映画『無常』(1971)やオペラ、アダルト系の演出まで多彩な才能を発揮して実相寺昭雄監督。助監督として支えた北浦嗣巳、油谷誠至、高橋巌、古林浩一、清水厚、勝賀瀬重憲の各氏が回想するトークが2023年11月に神保町で行われた。『ウルトラQ・ザ・ムービー 星の伝説』(1990)や『ティガ』など出演した高樹澪氏も参加(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

古林「実相寺がみまかって17年。演出部のうち、いまゆくえが判っているメンバー(一同笑)が葬式以来、全員集まりました。

 服部(服部光則)という監督もいまして『丹波哲郎大霊界 死んだらどうなる』(1989)とか『超高層ハンティング』(1991)とか撮ったんですけど、いま行方不明でして誰も連絡が取れない。ファンの方で知ってる方がいたら教えてください(一同笑)」

北浦「当時は学生運動やってまして、学校に行っても単位が取れなくてレポート提出だけ。アルバイトしてたんですけど、下村(下村善二)さんっていう知り合いがいて『あさき夢みし』(1974)の手伝いに来いって言われてロケハンの運転手として入って、そこから徐々に。東京現像所でのポスプロで、実相寺監督がカラコレの人に「明るい」「まだ明るい」って。「ここは2分1落とせ」っていうふうに細かい指示を出していたのを覚えています。「えっ、まだこんなに暗くするの」って中堀(中堀正夫)さんが嘆いていたのを聞いてます。それくらい画の濃度にはうるさい人でしたね。

北浦「『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(1977)や『恐竜戦隊コセイドン』(1978)の助監督をやりながら『波の盆』(1983)だったり『東京幻夢』(1986)だったり舞台だったり40年近くいっしょにいました。実相寺監督自身は優しい方で冗談も好きで、怒られたことはないし。1回だけ中堀さんが相当ひどく怒られたのは覚えてますけど。

 実相寺監督は人見知りをする方で、慣れないと喋ってくれない。ぼくが入ったころはTBSの社員だった下村さん、テレビマンユニオンの方々、原保美さんの息子さんとか錚々たるメンバーが助監督にいまして、気に入られる人と気に入られない人とで分かれる。気に入らないと一切喋ってくれない。チーフ助監督がスケジュールを持って行っても見てくれない、スケジュール通りには撮らないっていう。服部さんは気に入られて、女性好きだから話が合ったようで。ぼくも40年近くいっしょにいたんで気に入られたんでしょうけど、打ち解けないと本音を喋らない。だまされるくらいでないと仕事がいっしょにできない。他の監督とは全然違うテイストで、撮り方や芝居のつけ方も含めて特殊なところがあったので勉強になって、ここにいる助監督もそれで成長したところがあったと思います」

【『帝都物語』(1)】

 実相寺監督が当時10年ぶりに撮った大作映画『帝都物語』(1988)。

 

古林「ある助監督の方は苦しんで首が回らなくなって、実相寺監督の顔が見られなくなって撮影からいなくなったと。『帝都物語』ではメジャーな作品だからそういうことをしちゃいけないと、原(原知佐子)さんにきつく言われたと。そのおかげでぼくはつき合っていただけて」

油谷「服部さんとぼくは一般のテレビドラマで仕事をしてて、いちばん最初に会ったのは小川真由美さんの『ご存知!女ねずみ小僧』(1977)。その次は円谷プロの『スターウルフ』(1978)。しばらく空いて別の仕事をしているところに服部さんが見えて、実相寺監督が大きな作品をやると。もう動き出していたんですけど、有名な俳優さんも出て収まりがつかなくなったみたいで手伝ってくれと。そのときに古林くんもいっしょに行こうよという感じでお誘いした。北やん(北浦氏)は既に参加していましたね。実相寺監督は意外と早くすんなり受け入れてもらえました。その1本しかやってないんですけど、逸話は山ほどあって。すごくシャイな方で才能豊かで。大きい作品ですから実相寺さんも考えられていたと思うんですね。

古林「ぼくは油谷監督に送り込まれて『帝都物語』でサード助監督につくんですけど、東宝の喫茶店でお会いしたときにいきなり走っている人形のついたボールペンを渡されて「これからお前はおれづきだ。何も仕事しなくていいから」と。ずっと実相寺監督の椅子を持って歩くだけで、自分がトイレに行くときは逆に監督がついて来るという迷惑なことに(一同笑)。監督は独立系の映画をつくられてきたので(そういうマイナー作品では)こぢんまりとしていたわけですけど、大勢に指示するのは好きじゃなかったようで照明にも美術にも個別に話すんですね。それが制作や演出部に伝わらなくて、監督は「お前は誰が何を喋ったかおれにスパイしろ」とぼくはスパイ状態でした。

油谷勝新太郎さんが国際放映のそばの出前を取って、食事はぼくと古林くんの分も取ってくれるんですね。勝さん主演の『警視-K』(1980)にぼくも古林くんも参加してたんで。実相寺さんは俳優さんと喋らない人なんで、俳優さんに注文をつけるときは古林やぼくが勝さんに言いに行く。勝さんが打ち返して、それをまた実相寺さんに言いに行って、当人同士は話さないんですよ。俳優さんとあまり話さなくて、ぼくらが行ったり来たりして面白い監督でしたね。北浦氏は『帝都』では特撮で、本編は噛んでなかったですよね?」

北浦「特撮のチーフ助監督でしたけど何かというと呼び出されてたから(笑)そのへんは聞いてました。作品や役者さんによっていろいろ違いますけどね。実相寺監督はやってて愉しい作品だと前に出てました」(つづく